いまや下北沢や原宿竹下通りと変わらないその賑わいに、かつて差別されたアニメファンの影はない。旧劇場版で庵野秀明はエヴァファンにカメラを向けた実写映像を挿入したが、もし今のアニメイトで「現実を突きつける」とカメラを回しても、そこに映るのは明るく楽しげな若者たちばかりだろう。
「正直でいたい」離婚や育児について、ラジオで赤裸々に
ラジオから宮村優子の声が聞こえてくると、それが90年代の『直球で行こう!』というラジオ番組とほとんど変わらない、あのアスカの声であることに驚く。かつてラジオから流れる彼女の声を聞いた時、まるでラジオが小さな暖炉やストーブになったように、暗く寒い部屋を明るく照らし暖める気がしたものだ。その声の持つエネルギー、情熱と生命力は今も変わらない。
でも今宮村優子がラジオで話すことは、病んでいた昔のように「反動で頭がおかしくなったハイテンション」だけではない。正直でいたい、といつも言い続けた言葉の通り、彼女は離婚について語り、シングルマザーとしての育児の困難について語り、年老いた母の介護について語る。音響監督になりたいという夢があり、その勉強もし実際に仕事もスタートしていたのに、夫を支えるためにそのキャリアを断念した無念さについて語る。そしてそれを語る彼女の生まれ持った地声は、昔のアスカのままなのだ。
旧TV版のエヴァンゲリオン第22話には、生理で体調を崩したアスカ・ラングレーがエヴァを降ろされ「女だからってなんでこんな目に遭わなきゃいけないのよ、子供なんて絶対にいらないのに」と吐き捨てるシーンがある。
だが現実の人生で宮村優子が、バセドウ病や橋本病といった病に翻弄されながら、2児のシングルマザーとしての苦労をラジオで語る時、目を閉じて聞くとそれはまるで別の世界で別の人生を生きたアスカ・ラングレーが同じように人生にもがいているように聞こえてくる。そして宮村優子がそんな風にアスカの声で女性の人生の困難について語ることは、今も世界のどこかで誰かの心に届いているのだろう。
「今となってはここまでアスカと宮村がシンクロしてくると、そのピースが最初から庵野さんには見えていたのか、宮村がいつの間にか自分でそのピースの形を作り上げて、アスカを奪ってしまったのか」
『アスカライソジ』の中で、宮村優子が師事した音響監督、三間雅文はそう語る。21世紀のVTuber文化では、アバターの声を担当する声優のことを「魂」、声優が別のアバターと名前で活動することを「転生」と呼ぶ。人の心の重要な秘密が声にあるという感覚を、エヴァの後の世代の若者たちも自然に持っているのかもしれない。「セルに描いたマーカーの絵から宮村優子の声がすればそれはアスカなんだ」とかつて庵野秀明が皮肉をこめて語った言葉はたぶん、別の意味でも正しいのだろう。
宮村優子がラジオでシングルマザーの苦労を語る時も、そして新しいキャラクターを演じるために再びマイクの前に立つ時も、赤毛の反逆児、アスカ・ラングレーの魂はきっとその声の中に転生し、弍号機のように赤い血と情熱の炎を燃やしていることだろう。