ヨタハチはトヨタ・スポーツ800の愛称で、1965年から四年間製造された小型のスポーツカーである。一足先に発売されたホンダS500のライバル車で、燃費もいい先進的な車だったから、1967年から販売されたトヨタ2000GTととともに幻の名車と評価されている。
だが、ヨタハチは実験的な車で約3000台しか生産されなかった。2000GTは映画『007は二度死ぬ』の劇中車に使われ、マニア垂涎の「ボンドカー」だったが、こちらは高価すぎて庶民には高嶺の花だった。
こんな車を思い浮かべるのは、他社のエンジニアや辛辣なカージャーナリストたちから「トヨタの車はワクワクしない」と言われ続けてきたからである。
「いやあ、トヨタさんの車はそつなくできていて、たくさん売れていいですね。でも何かつまんないですよ。どうせ役員会の多数決で車が決まるんでしょう」
それはまだ我慢できるのだが、こたえるのはライバル他社のエンジニアの言葉だ。これは少し後のことだが、他社のスポーツカー担当と飲んだ時に、「なかなかスポーツカーは盛り上がらないね」という話題になった。
思わず多田は本音をぽろっと漏らしてしまった。
「お前の開発案はどうなってるんだ。ライバルに負けてるじゃないか」
「車好きはみんな、日産のシルビアとか昔のハチロクのような軽快で安い車が欲しいと言ってるね。高くてバカみたいに速いスポーツカーじゃなくてさ」
「そんなこと俺たちだってわかってるさ」
「そうだよ」
という声が一斉に上がった。
「俺たちも手ごろなスポーツカーのアイデアを出した。それがことごとく撃沈するんだ」
彼らの嘆きはこうだ。
スポーツカー担当者が役員会で説明に立つ。だが、スポーツカーを分かっている役員はどこの社も少ない。聞かれるのは「ライバルはどこだ。ライバルよりどれだけ速いんだ」ということである。そこで、サーキットのラップタイムや加速タイムなどを挙げて、うちの車はライバルより何秒速い、とわかりやすく答えて、開発を始めたいと懇願する。ところが、そんなときに限って、ライバル車がモデルチェンジしてより速くなっているのだ。
トヨタはできない代表みたいな会社
それを見た役員が激怒する。
「お前の開発案はどうなってるんだ。ライバルに負けてるじゃないか」
「いや、負けないように作ります」
そのために、さらに大きなエンジンを搭載すべく規格を変えたりして、どんどんモンスター化する。そして、バカ高い車になっていって、売れない──というのである。
「本当は君の言うような車が作りたいんだ。だけどできない。トヨタになんか絶対できないよ、そんな車。トヨタはできない代表みたいな会社じゃないか」
スポーツカーエンジニアは多くのメーカーで浮き上がった存在に見られている。飲んだときに出る彼らの言葉は悲鳴のように、多田の耳にいつまでも響いて残った。