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「この人は無力に違いない、という社会の見方は変わる」資生堂『花椿』を経験した編集者がフリーになって考えたこと

林央子さんインタビュー

genre : ライフ, 社会, 読書

note

フリーランスになってからの変化

――フリーランスになってみて、変化したと思うことはありますか?

 フリーになった直後には、 パリコレのようにある情報が集積する場所やタイミングに合わせて自分も足を運んで、そこから発信するという報道のかたちを続けるのかな? と思ってはいたんですが、2000年前後にファッションショーのウェブ配信が始まったことを受けて、ファッション界や報道のあり方も変貌をとげていきました。私自身も家族のケアをする必要なども出てきて、自分は主に東京にいながら、継続して取材をしたいと思う人たちと、その時々のやり方でコンタクトを取ったり企画に落とし込んだりして、長年の関係を築いてきました。

『here and there』は特に、「対話」からつくられるもので、「ともに」の場所なんです。キュレーターが「こういう展覧会をつくります」とか、編集長が「今号ではこの人たちとこんな特集をやります」というように、ある立場にいる人物が受け手より高い位置から方針を決めて情報を発信する、という方法とは違うやり方でつくってきました。

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2002年春の創刊から20年を迎えた最新号の『here and there』vol.15(2022)

「この人は無力に違いない」という社会の見方は変わっていく

――〈どこに誰といて、何をするか。日々の選択や行動は、批評行為だと私は考えています〉という文章からはじまる最新号の『here and there』vol.15には、20年、30年と交流を続けてゆるやかにつながってきたエレン・フライスやスーザン・チャンチオロ、マーク・ボスウィックといった顔ぶれとともに、デザイナーの尾中俊介さんをはじめ、新しく参加した人も多くいます。林さんが今後やっていきたいことを教えてください。

 すべての行為が批評だと思っています。資生堂の『花椿』にいながら、『Baby Generation』展を企画する。フリーランスになって、雑誌『here and there』をつくる。その行為自体も批評だと思うんですね。ただ、そういう風に読み解かれることはなかなかない気がします。雑誌のインタビューの場などでは「結局、ガーリーカルチャーというのは90年代に消費された文化ですよね」と言われることもあり、文化の本質が伝わっていないな、とがっかりすることもあります。

 批評というと文芸誌や批評誌があって、批評家という肩書きの人がやるもの、という固定観念が強いのかもしれません。私は、一般的に批評だと思われているものへの批評を自分の実践でしたいとも考えています。その発想は、90年代前半にはソフィア・コッポラが「親の七光りだろう」という見られ方をしていたことに対して、自分にリミットをかけず、どんどん外へ出てやりたいことをやっていくんだ、という姿勢をとったことと似ているのかもしれません。ソフィアは95年頃は写真を撮っていて、その先の98年以降は自分なりのやり方で映画を制作し、発表しはじめました。

「この人は無力に違いない」という社会の見方というものは本当に変わっていきます。実際、父親のフランシス・フォード・コッポラよりソフィア・コッポラのことを知っている人が、今の時代では当然多くいるでしょう。1988年、わたしが資生堂に入社した年は、吉本ばななさんが『キッチン』という小説を刊行されて、その画期的な作風で大いに話題になっていましたが、「将来は、お父さんの吉本隆明さんを知らなくて、ばななさんのことを知っている若い人たちが現れるのだろうか?」ということを、想像しにくい未来として編集界隈の人たちが話していたことを、私は覚えています。女性で、あたらしいやり方で大きなものをなしとげていく人たちは、キャリアの最初に「この人は無力に違いない」という言説を、根拠もなく受けがちだと思います。

 現在はファッション研究が私の活動のメインになりつつあるのですが、海外の若手研究者たちが、私がこれまでやってきたことに興味や共感を強く示してくれています。2020年~2021年にロンドン芸術大学のCentral Saint Martinsの修士課程でExhibition Studiesを学んだ後、これからもそうした人たちと、国境を超えて一緒にやっていけることがあるだろうと思っていて、今後はそれを楽しみにしています。

「この人は無力に違いない、という社会の見方は変わる」資生堂『花椿』を経験した編集者がフリーになって考えたこと

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