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修業を続け、昭和54年に独立

 田無に移ってからも修業を続け、そののち昭和54年に独立してこの店を持った。近隣でも、もう古株のようである。というより、近隣がもはや存在しないのだが。

「ここ、スーパーだったんですよ。肉屋さんとか、八百屋さんとか、雑貨屋さんとか、お菓子屋さんとか、魚屋さんとか、いろんな店があって、八百屋さんと肉屋さんは私の知り合いなんですよ。大先輩の方で、あるとき『俺も店を持ちたいんだ』といったら、『ここが空いてるから来れば?』っていってくれてさ」

「このへんは住宅地で、昔は牧場があったんですよ。畑も多かったし、こういう住宅地にはなってなかったですよね。だから飲食店としての条件は悪いですよ。上石神井から歩いて15分ぐらいかかるし。いい環境じゃなかったけど、(続けてこられたのは)まあ、自分の努力だね。あとはまわりの環境がよくて、みなさんに愛されたというのが秘訣じゃない?(笑)」

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「出前をやらなかったら生活できません」

 店の前に岡持ちのついたバイクが停めてあることからわかるように、出前もしている。調理もして出前もするのだから、なかなか大変そうではある。

「うん。出前をやらなかったら生活できません。あちこち中小の会社があって、いまでもお世話になってるんだけど、それで生活が成り立つという。出前はもう大変というよりも、当たり前という感覚」

 文字どおり、地域密着型なのである。ところで、肝心な質問をしなければならない。ラーメンの味が昔、漢珍亭で食べたそれとは違うことについてだ。

「私は自分流にやってるんです。漢珍亭ってのれん分けじゃなくて、フランチャイズでもないし、社長が金を出してくれたわけでもないから。(続けられるのは)やる気がある人だけだね。だから独立店のように、自分で貯金して、味を研究して、自分で店を探してね。で、独立しても大丈夫かなと思えたら、そのお店から出るという感じですね」

 お店の名前は使わせてもらえたものの、それ以外は自分次第。それが漢珍亭本店の考え方だったということのようだ。

荻窪・漢珍亭の名物「味つけ卵」は?

「そうですね。昔、本店の社長がお店を改装するときがあって、1週間ぐらい休みになったんですよ。そのときに紹介であちこちのラーメン屋さんに行って。オーバーにいえば修業だね。そこでまた、こういうのもあるんだなという感覚を身につけたんです」

 そうして辿り着いたのが現在の味だ。出汁にはゲンコツ、鶏、煮干し、出汁昆布などを独自の配分で使用している。だが、漢珍亭のもうひとつの名物であった味つけ卵はどうしてないのだろう? お聞きしてみたところ、これまた意外な答えが返ってきた。

「やってますよ。裏メニューというほどじゃないんだけど、メニューに書いてないんですよ。お酒もそうなんだけど、メニューには出さないんだよね。老夫婦でやってるんで、忙しくて大変だから」