田中 やはり家庭復帰をした子でも、家庭で何か問題があって、再び施設に戻ってくる子もいます。これまでは18歳になった3月に退所という制度でしたが、今は事情があれば措置延長できる流れが来ているため、18歳で退所しなくてはならない子は減るとは思うんです。でも、施設を出た後に大変な思いをする子は、いなくならないんじゃないかと思っています。
「誰にも頼れない、帰省する家もない」同級生との境遇の違いが嫌に
――経済的な後ろ盾がないというのは、精神的にも追い詰められたりしますしね。
田中 そうですね。「施設を出て家に帰ったなら大丈夫」と思ってしまいがちですが、家にいたほうがよりつらい環境になったり、虐待などの問題がまた始まってしまったりするケースも聞きます。なので、現状、そうした退所した子たちの問題までソーシャルワーカーたちが負担できていないんじゃないかと。
――必要な措置に対して人が足りないといいますか、人手不足が深刻ということですね。田中さんご自身は、退所後にどのような生活をされたのですか。
田中 保育の短大に入って、1人暮らしを始めました。アルバイトで生活費も学費も賄うという状況になって初めて「自分と友達は同い年で、保育士になるという同じ目標を持つ女の子なのに、どうしてこんなに境遇が違うんだろう」と思うようになったんです。
友達から「親から仕送りをもらった」とか「食料がいっぱい送られて来たから一緒に食べようよ」とか「夏休みは実家に帰るんだ」と何気なく言われた時に、全部自分の状況と重ねてしまったんです。「私にはお金をくれる親がいない、食料を送ってくれる親もいない、精神的にも誰にも頼れない、帰省する家もない」というふうに。そういう小さな積み重ねで心がチクチク痛んでしまって。それで、友達といるのが嫌になっちゃいました。
「せたがや若者フェアスタート」を利用し、なんとか短大を卒業
――「ベッドで横たわって天井を見上げながら泣いていた」と著書にも書かれてありましたが。
田中 やばいですよね(笑)。通っていたのは女子の短大だったので、移動教室やトイレなど、みんなグループで移動したりするんですけど。そこにいるのもつらくて、1人で行動するようになりました。
別の教室で1人でお弁当を食べたり、汚いんですけどトイレでご飯を食べたり。ひとりぼっちだと悟られないように学校生活を過ごすようにしていると、惨めになってきちゃって。それで孤独感がズドン、ときちゃったといいますか。
それで学校にも行けなくなって、留年してしまったんです。
――本当にしんどいときって、ベッドから動けなくなって、ただ天井を見つめて泣くしかできなくなりますよね。その状態からは、どういう風に脱したのでしょう。
田中 私の場合は、コーチング(専門家による傾聴、観察、質問によって自己の内面にある答えを引き出したり、気付きを得る手法)でした。あとは育った施設のある世田谷区で始まった「せたがや若者フェアスタート」という制度を利用して、4万円の家賃を1万円に抑えながら学校に行き、なんとか卒業できたんです。