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稲田直人、吉川光夫、エスコンフィールド…日本ハムと広島をつなぐ“深すぎる縁”

文春野球コラム ペナントレース2023

2023/06/07
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新球場「エスコンフィールド北海道」が位置する北広島市とは

 文春野球は、今年で現在の形の「ペナントレース」を終えるのだという。ということは、私が交流戦に登板するのも最後になるかもしれないということだ。対戦相手を聞き、カープにまつわる話が何かできないか考えた。最初に頭に浮かんだのは、お立ち台で広島弁と北海道弁の“ちゃんぽん”を駆使したあの男だったが、それは後にして。

 ファイターズの新本拠地「エスコンフィールド北海道」の所在地は、北海道北広島市だ。地名は明治時代に大地を開墾した際、広島出身者が入植したことに端を発する。割と最近まで「広島町」を名乗っており、北広島市になったのは1996年のことだ。新球場の最寄りになっているJRの「北広島駅」は、町名が広島だった頃から変わっていない。これは大ターミナルの広島駅と混同されると、業務に支障があるためだろう。

 先祖が生きた広島とのつながりを強固に保ち、町は成長してきた。カープ応援団があり、少年野球のチームもカープを名乗っているのはそのためだ。日本ハムの北海道移転後は市内にファイターズを名乗る少年チームも生まれ、いわば日常的にファイターズとカープが“縄張り争い”を続けてきた場所だ。

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 そしてファイターズにはずっと、広島の香りがどこかにあった。1981年の優勝を支えた江夏豊は、エース高橋直樹との大トレードでカープからやってきた。同じく移籍組からは長身の金石昭人や長冨浩志が、東京ドーム時代のチームを救ってくれた。そして近年は、名門・広陵高出身者が途切れず所属している。

 子どもの頃好きだったプロ野球選手を問うと「広島東洋カープの全員」と言ってはばからない男がいた。現在2軍コーチを務める稲田直人だ。レギュラーを奪った時期は短いが、やたらと存在感のある選手だった。しぶとい守備や打撃ももちろん、ベンチからの大声すら戦力。ただ社会人経由の入団にもかかわらず、2004年から2年間、1軍昇格はなかった。

現役時代の稲田直人 ©時事通信社

 やっと1軍に上がった2006年の6月、すでに広島でのカープ戦は終わった後だった。だから翌2007年、かつて応援に通い詰めた旧・広島市民球場に、プロのユニホームを着て足を踏み入れた時は言葉にしがたい感慨を抱いたのだという。外野スタンドには「ヒルマン監督、稲田を使ってください」という横断幕が揺れた。「何、あれ?」と聞きに行くと、少年時代のチームメートが広げていたのだと照れながら教えてくれた。

 そして球場のラストイヤーとなった2008年、“奇跡”が起きる。この年の稲田は春先に骨折し、出番が減っていた。それが6月17日の広島戦、故郷でスタメン起用されると2本の適時打を放った。勝利投手のダルビッシュを差し置いて、ヒーローインタビューに呼ばれたのだ。さすがに札幌での決めゼリフだった「なまら最高じゃけんのう」とは言わなかったと記憶する。どこか神妙に、うれしさを語っていた。

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