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有害な男らしさを描いた『テッド・ラッソ』

 パンデミック中にアメリカで人気が大爆発した『テッド・ラッソ』という、アメリカンフットボールのコーチだったテッドがイギリスのプレミアリーグのプロサッカーチームの監督に任命されたという設定のもと、選手やチーム運営者との関係などをコミカルに描いたコメディドラマでも、「有害な男らしさ」が扱われました。

ドラマ『テッド・ラッソ』(画像:Apple TV+より)

 幼い頃より「不安や悲しみなどの感情を感じてはいけない」「権力をもってこそ男だ」という無言のメッセージを受け取ってきた男性キャラクターが、特に「強いことが当然」と思われている「スポーツ」の世界で自分の感情に向き合う場面を描いたのです。

『テッド・ラッソ』は全体を通じて陽気なドラマですが、2シーズン目には重いテーマを扱います。テッドが試合中にパニック発作を起こし、それを隠すためにピッチから消えてしまうシーン、そしてテッドの不安の根源には、父親の自殺の記憶があること、また、不安や悲しみと向き合わないために無理に笑いをとっている様などが赤裸々に映し出されます。

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 テッドは最初はカウンセリングに抵抗しますが、その後セラピストとの対話により自分自身と向き合うことで、抱えている傷が少しずつ癒される様子が描かれ、最終的にはテッドが記者会見でアスリートのメンタルヘルスの扱われ方について問題提起をするシーンも入ります。

 テッドのパニック発作を隠そうとする姿、またセラピストの助けを拒む姿に表れているのは、男性は悲しみや不安という弱さを表に出してはならないというグローバルな固定観念であり、さらに、男性のアスリートのイメージが肉体的な強さに象徴されるように、男性のスポーツ監督には、「強い集団を勝利に導くリーダー」として「『弱い』感情を感じてはならない」という無言のプレッシャーがかけられていることに気付きます。

 もう一人、『テッド・ラッソ』には男性に向けられた固定観念に苦しむキャラクターが登場します。アシスタントコーチのネイトは、何をやっても誉めてくれない父親に認めてほしいと思うあまり、家庭の外では「自分を尊敬しろ」という欲望を丸出しにし、職場の部下を怒鳴るような攻撃性を見せ始めます。