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自民と公明、連立政権パートナーへの道のり

 東京都連のやらかしを振り返ると、情勢の読み間違いがいくつも見事に折り重なり、政治家個人個人の身勝手な思惑や功名心の果てに、結果としてグズグズの展開となった不幸を曼荼羅のように示しています。ああ、人間だもの。

 その経緯は本稿に書き切れるものではありませんが、歴史を紐解けば、いまの自公協力の原型とはもともと1999年に成立する自自公政権であり、当時総理だった小渕さんの手によるものです。自民党と二階俊博さん率いる自由党(のちの保守党・保守新党、その後自民党に合流)と公明党による自自公政権の成立までは、反公明党・創価学会を御旗に掲げる「四月会(信教と精神性の尊厳と自由を確立する各界懇話会)」による激しい反発がありました。

 ここで、英断やなんやかやあって自民党の小渕さんと旧自由党の二階さんと公明党による自自公政権が成立すると、自由党の後継政党である保守新党の自民党吸収・二階派(新しい波)成立を経て、自由民主党と公明党との連立政権が始まります。

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 そこから森政権、小泉政権から短命に終わった第1次安倍、福田、麻生政権で自民党と共に公明党は下野し、そこからさらに第2次安倍政権で自公政権として復権を遂げて現在に至ります。戦後の日本民主主義において歴代最長の総理在任期間を実現した第2次安倍政権でも、苦難を共にした公明党は文字通り連立政権としてのパートナーであり続けます。まあ、本当にいろいろあったわけですよ。

本当にデリケートなバランスの上に続いてきた

 安倍政権以降の政治の安定も、公明党の集票力や政治基盤によるところが大きかったのは事実であるし、また、ときとして派手に暴走してやらかしがちな自民党との連立をすることで、自制的な与党内議論をすることでやり過ぎを防ぐという機能を果たしたのもまた公明党であったとも言えます。自民党からすれば政策の推進力を公明党との調整に削がれると不評な面もあり、特に安倍政権最大の危機であった安保法制では公明党の了解や理解が得られず、かなり調整に苦労した話は関係者から酒を飲むたびに愚痴られます。

 他方で、支持母体である創価学会への理解を求めることで得られる公明党の集票力に比べて国政での獲得議席が少なく抑えられてきたのは、自公政権の維持に必要な得票を自民党に回すだけでなく、前述四月会のような反創価学会(宗教団体が日本の政治を牛耳る一大勢力であって良いのか)の文脈への公明党の謙抑的なアンサーだったようにも感じます。この辺、本当にデリケートなバランスの上に24年間、大道芸のように続いてきたのが自公協力であったと言えます。