その理由について、当時の菅野はインタビューでこう答えている。
〈仕事中の自分と普段の自分にすごいギャップを感じていた時期だったんですが、宮澤さんに『心を脱ごうと思ったら、やっぱり裸になることも大事だと思うよ』ということを言われ、私も心の中の葛藤を捨てて、きちんと自分に向き合いたいと思うようになったんです〉
寝起きの表情や下着のまま台所に立つ姿など、全144ページにわたって“素”の菅野が収められた同作は、発売当日に初版10万部が完売。1991年に発売された宮沢りえの『Santa Fe』にも並び得るヒット作と目されたが、発売に至るまでには不可解な点も多くあったという。
「人気絶頂の女優のヘアヌードとあれば大々的に宣伝したいはずなのに、発表されたのは写真集が発売されるほんの数日前で、プロモーションもろくになかったんです。それもそのはず、出版元はこの写真集のためだけに設立された出版社で、ほぼ自費出版のような状態。それまで菅野が露出を拒んでいたことも相まって、カメラマンを務めた宮澤正明氏との恋愛関係が噂されたり、借金返済のために脱いだんじゃないか、とも言われていましたね」(同前)
記者会見の途中に肩を震わせて涙を流し…
発売から3日後に開かれた記者会見で、騒ぎはさらに大きくなる。一部のスポーツ紙がヘアヌードを無断で転載したことに抗議するために設けられた会見だったが、ヌードになったことに対する友達の反応を問われた菅野が、友人から手紙をもらったことを話している途中で肩を震わせて泣き始めたのだ。
「後日、菅野は涙の理由について『友達に“カッコいい”と言ってもらえて感極まった』と弁解していました。ただ、出演していた『キットカット』のCMを降板させられるなど、余波は決して少なくなかった。結局、出版から3カ月後には事務所から出版社への申し入れがあり、82万部を売り上げたところで絶版となりました」(同前)