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地震ごとに生まれ変わる

 養老 そういう話になると、僕はいつも「地震待ちだ」って言うんですよ。日本の歴史を振り返ると、節目節目で巨大な天災が発生し、そのたびに社会の仕組みがつくり変わっている。例えば、享保の改革の直前には宝永大地震と富士山の噴火が、明治維新の直前には安政の大地震が起こっています。今後、巨大な自然災害が起これば、日本の社会はガラッと大きく変わる可能性がある。

 ヨーロッパでは滅多に地震が起こらず、数百年前の建物がきれいに残っているのが普通です。でも地震が多い日本は、それこそ伊勢神宮じゃないんだけども、20年に1回くらいの頻度で社会を作り変えていくのが、性に合っているんじゃないでしょうか。固定するよりかは、どんどん生まれ変わっていく。

 成田 都市化って、ある意味では自然の摂理に反した現象だと思うんです。まず、天然資源に恵まれていない地域ほど、都市化が起こっていること。不毛の地では自然に頼ることが出来なくて、頑張ってインフラや社会制度を整備することで、社会を維持してきた。それが結果として、今栄えている都市の経済発展につながったという研究もあります。

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成田悠輔氏 ©文藝春秋

 そして世界の大都市は大体が沿岸に位置していますが、そのために温暖化による海面上昇の危機に晒されて、自然との葛藤が生まれています。

 このように、都市と自然はせめぎ合っているから、定期的に軋轢が生じて自然災害に見舞われる。そのたびに部分的なリセットを繰り返しながら、2つが戦っていくのではないかと素人ながら想像しています。

 ……でも、今後何らかの大きな天災が発生し、東京一極集中が不可能になった後の日本社会をイメージすると、どんな形がありえますか?

 養老 やっぱり、本当の意味での地方分権になるんじゃないか。既存のインフラが全て壊れたら、1人の人間が自給できる範囲は自然と決まってきます。江戸時代の日本は、300の藩に分かれていましたよね。あれは情報伝達が1つの基準になっていて、中心部から馬で走って1日で辿り着ける範囲で、藩としてまとまっていた。それくらい小さな昔風の集団、細かいユニットが並列するんじゃないかと思います。

養老孟司氏と成田悠輔氏の対談「AIは人間を不幸にする?」全文は、「文藝春秋」2023年8月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。