手抜き工事や設計ミス?
展望の丘では、落橋した祭畤大橋を眺められるだけではなく、実際の橋桁の一部が置かれ、災害に関する資料が掲示されている。祭畤大橋は1978年、岩手県一関市の磐井川支流である鬼越沢に建設され、国道342号として供用されていたが、2008年6月14日に発生した岩手・宮城内陸地震によって落橋した。
岩手・宮城内陸地震は、岩手県内陸南部を震源とするマグニチュード7.2の大地震で、最大震度6強を観測。死者17人、行方不明者6人、負傷者426人を出す惨事となった。大地震であったとはいえ、祭畤大橋は耐震設計されており、全長94m、幅9mという大きな橋の橋桁が落下するというのは、非常に衝撃的な出来事だった。
当時は手抜き工事や設計ミスではないかという声も聞かれたが、その後の調査で地震によって発生した地滑りが原因であることが判明した。東北大学を中心とする「国道342号祭畤大橋被災状況調査検討委員会」の調査結果によると、1つの橋脚下の地盤が11mも移動していたという。秋田方から一関方へ、橋をギュッと押し縮めるように11mも地盤がズレた結果、一関方の橋脚が破損し、橋桁は落下。その際、橋桁は座屈する形で大きく折れ曲がった。11mも地盤がズレては、耐震設計であってもひとたまりもないだろう。
2008年には2代目の祭畤大橋が上流に建設された(2010年開通)。これが現在の国道342号だ。
壮絶な災害によって落橋した旧祭畤大橋は、震災の被害を風化させず教訓として後世に残すため、災害遺構として保存されている。
2011年に発生した東日本大震災に注目してしまいがちだが、そのわずか3年前にも岩手・宮城内陸地震という大災害があった。旧祭畤大橋は岩手・宮城内陸地震を今に伝える貴重な生き証人といえるだろう。