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 紙袋の中には何が入っていたのか。森功氏は関係者への取材を元に、下村氏がこう語ったと綴る。

〈「2つ入っています。2000万あります」

 森の怒気は呆気に変わった。

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「君は、何というバカなことをするんだ。清和会の会長を2000万円というそれだけの金額で買えるとでも思っているのかね。もう帰ってくれ。これ以上ここにいたら、俺はこのことを人に言うぞ。おい、お帰りだ」〉

 結局、下村氏は紙袋を持ち帰り、会長就任は叶わなかった。

安倍派顧問の下村氏 ©時事通信社

「清和研の汚点になる人を会長にはできません」

 なぜ、そうまでして森元首相の元を訪ねたのか。下村氏はかねてから、松野官房長官や高木毅国対委員長ら、安倍派の有力議員「5人衆」と距離があった。森元首相を訪ねた7月6日は、午前中に安倍派の幹事会が開かれ、安倍氏の一周忌に向けて、新会長の選任を含めた新たな体制について幹部たちが議論を重ねていた。だが、塩谷氏と共に、新会長を決めるべきだと発言した下村氏に対し、高木氏が5人衆を代表して集団指導体制を主張。議論はまとまらなかった。森功氏は、座長である塩谷氏のコメントを紹介しつつ、こう綴っている。

〈「本人は会長をやりたいのでしょう。そのためにどう動いたか。しかし、彼を推薦するという話があったかといえば、それはないと思います。彼は過去2回の自民党総裁選に出ようとしたけれど、取りやめた。あのときも誰が彼を支持しているのか、わからずじまいでした。たとえば15人いる常任幹事会のうち、少なくとも半数ぐらいが了解するような立場でないと、会長になれません」

 それでも下村は突っ走ってきた。その勝負どころが、一周忌の2日前の7月6日だったといえる。〉

 果たして、2000万円を手渡そうとしたのは事実なのか。下村氏は森功氏の取材に対し、「森さんに会長になる意思をお伝えしたかったんです」と語り、次のように答えた。

「丁寧に謝罪はしましたが、土下座なんかしていません。もちろん金銭を渡そうとした事実はありません。2000万云々はまったくのデマです。秘書に用意してもらった手土産を渡そうとはしました。しかし、それも拒否され、帰り際に森さんの秘書から突き返されました。何を持っていったか覚えていませんでしたが、秘書に調べてもらったところ、手土産は2万円相当の(京都の料亭)和久傳のちりめん山椒とすっぽんの煮凝りの詰め合わせとのことでした」

 一方、森元首相はこう回答した。

「国民から見れば、日本の政治に疑念を持たれるような出来事です。したがって私の口からは多くは語れません。しかしやはり、清和研全体の汚点になるような人を会長にすることはできません」

萩生田政調会長 ©時事通信社

 10月5日配信の「文藝春秋 電子版」及び「文藝春秋」11月号(10月10日発売)に掲載した森功氏の記事「森喜朗元首相へ献上された疑惑の紙袋」では、紙袋を渡そうとした場面の詳細なやり取りに加えて、下村氏が森功氏の取材に語った回答についても詳報。また、塩谷氏に加えて、「5人衆」である松野官房長官や萩生田光一政調会長、世耕弘成参院幹事長らも実名で取材に応じ、安倍氏死去後の派閥の混乱について語っている。