そろそろ時間である。私がご馳走する約束だったので、クレジットカードを出した。しかし、その店では私のカードは使えないという。それならばと現金を出したが店員がつきかえしてくる。ここではドルしか使えないらしい。
結局、その場はトムがカードで立て替えてくれた。悪いと思った私は1ドル105円で計算し、日本円を彼に渡すと、トムは喜んで受け取った。しばらく続いた円高で、円は貴重になっているという。基地の外であまり遊んでいなかったので助かったと言われた。
基地の外で暮らす米軍関係者
次に会ったのは、基地の外で暮らす米軍関係者だ。
名前は仮にピーターとしておこう。ピーターは軍関係のシステムエンジニア。母国の某有名大学を卒業したというインテリで、口ひげを生やした50代の男性だ。
私は、彼の家へと招かれた。場所はコザから車で40分ほどかかる田舎町。教えられた住所に到着して驚いた。とてつもなく広いではないか。鉄筋コンクリートを使用した洋風の建物で外観からして頑丈そうな様子が見てわかる。表現は悪いがラブホテルをかなり上品にした感じだ。広々とした庭の芝生も丁寧に刈り込まれている。家賃は25万円。ピーターはここに妻と子ども3人と暮らしているという。
彼の子どもたち3人も交えて話をした。当時としては珍しく(そう思うのは日本人だからかもしれないが)、ピーター家では、家族全員がそれぞれパソコンを所持していた。しかも、スマートフォンやタブレットも家族全員が持っている。そんなに給料をもらっているのだろうか。
「基本給自体はたいしたことはないが、海外赴任手当が加算されるのが大きい。沖縄での任期はあと1年だが、いま延長の希望を出しているところだ」
ピーターや家族の様子を見ていると、かなり余裕のある暮らしをしていることがわかる。
彼からは特別な話は聞けなかったが、私が法人の代表をしているというと、急に目つきが鋭くなり、ビジネスについて熱く語りはじめた。
「これからはタブレット端末の時代になる。かつて一部のマニアのおもちゃだったパソコンが、いまではビジネスに欠かせない道具となったように。だから、私は子どもたちにタブレットを持たせている」
「これから、日本もアメリカがたどったようにモノを作らない時代に入るぞ」
私がうなずいていると、ピーターはちょっと見てみろと言って、タブレットを見せてきた。