「まるで“お経”のようだ」少年時代に感じていたアナウンサーの話し方への違和感
――久米さんといえば、独自のスタイルでアナウンサーとしてのキャリアを切り拓いていった印象があります。それは、そのときの経験が活きているからでしょうか。
久米 そうですね。あとは、小さい頃からラジオ少年だったことも影響していると思います。僕が子どものときは、ラジオの野球やスポーツ中継、クイズ番組が面白かったんですよ。でも、番組の合間に入る、アナウンサーが伝えるお知らせやニュースを面白いと感じたことはなかった。
子どもだから、内容が理解できずにつまらなかったのもありますが、それ以上に、どのアナウンサーも同じように淡々と話していて、まるで“お経”のようだと思っていました。
――当時のアナウンサーの話し方に違和感を抱いていたのですね。
久米 幼いながらに「もっと面白く話すことはできないのだろうか」と考えていたのでしょう。その頃はまさか、自分が当事者になるとは思っていませんでしたが。
『ぴったしカン・カン』で生放送の魅力に取り憑かれた
――「自分らしい話し方」を追求した結果、次々と人気番組に抜擢されます。その中でも、平均視聴率20%を超える歌番組『ザ・ベストテン』の司会に抜擢されたことは、大きな転機になったのではないでしょうか。
久米 『ザ・ベストテン』の司会の相手は黒柳徹子さん。しかも、僕の好きな生放送と聞いたら、断る手はありませんでした。オファーを受けて「イエス」といったときから、大袈裟に言うと僕の人生が変わりました。
――その他にも、『ぴったしカン・カン』や『ニュースステーション』など、久米さんが司会を務める番組は生放送が多かったように思います。
久米 生放送の魅力に取り憑かれたのは、『ぴったしカン・カン』の影響が大きいですね。
『ぴったしカン・カン』では、生放送と収録を交互に行っていました。でも、企画・構成を務める萩本欽一さんのこだわりで、録画の編集は一切しなかった。とにかく「生」を貫いたんです。そこで生まれる失敗や緊張感が、すごく面白いんですよ。
――『ザ・ベストテン』も、失敗と緊張感が魅力の番組だったと。
久米 司会者はもちろん、歌手も緊張しますからね。ほとんどの歌手の方が、インタビューを歌の後にして欲しいと言っていました。
歌う前のインタビューは出演者からは嫌がられるのですが、そうすることで、普段見られないスターたちの失敗や緊張する姿がテレビに映し出されるんです。それが視聴者には魅力的だったのだと思います。