1ページ目から読む
2/3ページ目
庄司巡査の負傷に憤激した村民は、近隣のアイヌの応援を得てクマ狩りを行い、21日に遂にこのヒグマを仕留めた。運ばれたヒグマを見た庄司巡査は村民に感謝の意を述べて「万歳」と叫び、その場に転倒したという。その後、庄司巡査の容態は悪化し、26日に息を引き取った。
1893年、庄司巡査の13回忌に村民により光照寺の境内に墓碑が建立され、現在に伝わっている。『北海道警察史』では庄司巡査を北海道警察の最初にして開拓使時代唯一の殉職者としている。
仕留めそこなったヒグマを追跡したが後方から…
クマによって殉職した公務員には議員もいた。大正7年(1918年)に亡くなった菅野光民道議会議員だ。岡山県に生まれた菅野は明治末期に北海道に渡り、1913年に北海道議会議員選挙に立候補して当選し、1915年に十勝日日新聞社を創業している。
道議となった菅野が主張したのは、トムラウシ地域の開発だった。『新得町七十年史』によれば、菅野は「トムラウシ開発こそ十勝発展の基礎だ。眠れるトムラウシの大宝庫に関心なくして十勝開発を語るのは、愚論もはなはだしい」との持論を持っていたという。
帯広を流れる十勝川の上流にあるトムラウシ地域は、森林資源、鉱物資源が豊富で、肥沃の地と考えられ開発が求められていた。そこで、菅野自身が探検隊を組織し、トムラウシ地域の調査に出発したのが1918年6月6日だった。
翌7日に案内役のアイヌ3名と合流した菅野は、十勝川源流に沿って調査を続けた。『熊・クマ・羆』(時事通信社)によれば、9日に案内のアイヌがヒグマを発見したところ、菅野は土産になるとこれを撃つように命じたが、仕留め損なってしまった。