2023年も残り少ないが、12月に入ってもクマ被害が報じられるなど、今年は深刻な熊害に悩まされた年だった。国が統計を取り始めて以降、もっともクマによる人的被害が多かったと報じられている。

 北海道開拓の歴史を紐解くと、自然環境、そしてヒグマとの闘いの歴史だ。日本最大の熊害事件とされる三毛別ヒグマ事件も開拓集落で起きたものだし、戦後も標津町の開拓地にヒグマが出没し、自衛隊が出動する事態にまでなっている(標津町の事件については過去に文春オンラインに掲載した拙稿を参照)。

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 そして、北海道の開拓を巡っては、住民だけでなく、官吏や議員といった公務員もヒグマにより命を落としている。本稿ではそういった北海道の公務員たちのクマ被害と、それがもたらした影響について紹介したい。

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2メートルを超す大グマを相手に槍と剣で戦ったが…

『北海道警察史』によれば、明治13年(1880年)10月に、岩内郡前田村ではクマ被害が相次いでおり、農作物のみならず家畜、そして数人が食い殺されるに至り、警察と村民でクマ狩りを行うことになった。11月10日に村民は4つの組に分けられ、組長には巡査があてられクマ狩りが行われた。

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 ここで第1組長となった庄司巳吉三等巡査は庄内藩士の家に生まれた士族で、1875年に北海道に渡り邏卒となり、翌年に三等巡査に任じられている。庄司巡査は8、9人の村民を指揮して山林内に入ったが、2メートルを超す大グマと遭遇。恐れをなした村民は逃げ出し、庄司巡査はひとり槍と剣で戦ったものの全身に重症を負い意識を失った。これを遠巻きに見ていた村民らは大声をあげてヒグマを追い払い、庄司巡査を介抱して病院に運んだ。