ここ数年、クマ被害は数知れないが、その中でも大きなインパクトを与えた個体にOSO18と呼ばれたヒグマがいる。そのOSO18を特集した2022年のNHKスペシャル『OSO18 ある“怪物ヒグマ”の記録』の中で、1962年に起きた北海道標津町でのクマ騒動(この騒動の詳細は拙稿で紹介)の映像を流しつつ、ヒグマの根絶を目指そうとした「当時の状況を示す文章」として、1963年に出版された本に書かれた一節を紹介している(下画像)。

NHKスペシャル『OSO18 ある“怪物ヒグマ”の記録』より

 「北海道の熊は文化の敵、人類の敵である」。この部分を読む限り、この人物はヒグマ根絶を主張しているようにしか見えないだろう。余りに“強い”文章のせいか、文章を書いた人物について、NHKは「北海道大学教授 動物生態学の第一人者」としか伝えていない。

 だが、この文章を書いたのは、戦後北海道の自然行政に大きな影響を与えたばかりか、日本社会にも足跡を残した人物だ。そして、かつては「人類の敵」と呼んだヒグマとの共存を模索するようになった。

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 彼の業績や主張の変遷を辿ることで、かつてのクマ問題と行政の対応の変化、そして現在の問題を理解する手がかりになるだろう。本稿ではその彼、北海道大学の犬飼哲夫名誉教授について紹介したい。

上皇陛下が「先日、犬飼先生はお亡くなりになりましたね」

 犬飼の名を知らずとも、多くの日本人がその業績に間接的に触れている。例えば、ナキウサギの北海道での存在の証拠を発見し、ゼニガタアザラシを発見・命名した動物学的業績の他、もっとも知られているものには、日本が戦後初めて南極観測隊を送り出す際、南極特別委員会の委員としてソリ用の樺太犬を手配し、訓練を施したことだ。

 第1次観測隊と共に南極に渡った樺太犬たちだったが、第2次観測隊は悪天候で越冬を断念。空輸問題から樺太犬15頭が昭和基地に残された。その後、無人の昭和基地で1年間生き延びたのが、「奇跡の生存」として日本中で話題となったタロとジロの兄弟犬2頭だった。犬飼はタロとジロの名付け親で、生存が確認される前に「2頭は7対3の確率で生き残るだろう」と予測していたが、まさにその予測通りとなり、樺太犬に対する犬飼の深い理解も証明する形となった。

国立科学博物館所蔵のジロの剥製(筆者撮影)

 1989年7月に犬飼はその生涯を閉じたが、その年の9月に天皇(現上皇)が北海道大学博物館を視察された際、タロの剥製を前に「先日、犬飼先生はお亡くなりになりましたね」と説明員に話されたことが伝わっている。生物学者でもある天皇からも一目を置かれていたことが窺われる。