1ページ目から読む
3/3ページ目

“現在の三千頭といわれるクマを、半分以下に減らして凶暴性のクマを駆除、おとなしいクマを残して、アメリカの国立公園のような、クマは愛嬌のある動物として、親しまれるものにしなければならない。”

 ここで犬飼は、凶暴な個体を淘汰し、温和な個体を残すことで、ヒグマとの共存を目指す方向にシフトしている。人間本位ではあるものの、ヒグマとの共存の方向性に動いている。そして、語学に堪能だった犬飼は、海外の動物研究・自然保護の潮流を見つつ、北海道の実情に沿う形でその姿勢を変化させていく。

 春グマ駆除の結果、開始から30年経たずして北海道のヒグマは激減し、人身被害も大きく減った。その意味で犬飼は目的を達成したことになる。ところが、晩年の彼はヒグマ政策を保護に転換する時が来たと考えていた。

写真はイメージ ©iStock.com

 1983年に発症した脳梗塞で運動障害、発語障害を抱えつつも研究を続けた犬飼は1985年に発表した共著論文「北海道におけるヒグマの捕獲並びに生息実態について(Ⅱ)」の結論の中で、次のように述べている。

ADVERTISEMENT

“全道的には既にヒトとヒグマとの間に日常の生活圏の上で棲み分けが成立しており、ヒトと自然との調和ある共存という観点から、ヒグマの生息域と個体数は現在より減少させるべきではなく、そのためには年間の捕獲数を300頭に抑制することが望ましいと筆者らは考える。”

 この当時、北海道でのヒグマ被害は減少しており、生活圏での棲み分けが成立したならば、ヒグマとの共存は可能になったと判断したのだ。

人口密集地とクマの生息域間の緩衝地帯が消滅し、熊害が再増加

 この論文の共著者のひとりである門崎允昭氏によれば、この調査結果をみた犬飼は「クマとの共存も夢ではなくなった」と喜び、北海道の森林面積を10%を保護区として残し、最奥人家から2kmの範囲を通年でクマの狩猟を可能とする緩衝地帯に設定することで、人とクマ双方の生活圏を離して共存する方向性を考えていたという。生息数を低く抑える政策から、棲み分けによる共存への転換である。

札幌市内の茂みにクマが隠れていた ©時事通信社

 この晩年の犬飼の構想が正しかったかは分からない。犬飼の死後、そのような政策は取られず、検証のしようがないからだ。しかし、現在のクマ問題では、農村地域の過疎化によって、人口密集地とクマの生息域間の緩衝地帯が消滅したことがクマ出没の一因と指摘する専門家は多い。

 1990年に中止された北海道の春グマ駆除は、今年になって4年間の期間限定で再開されることになった。クマ被害の多発から春グマ駆除に至る過程は、半世紀以上前のそれをなぞっている。歴史は繰り返すのか、それとも新たな着地点を見出すことができるのか。