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「然し如何に熊でも到底人類の敵ではない」と書いていたが…

 犬飼が長年大きな関心を持っていた動物に、北海道のヒグマがいる。ヒグマの生態のみならず、人間社会との関係についても関心を持ち、戦前からアイヌの熊送り(イオマンテ)といった祭祀を記録し、またヒグマによる人的・経済的被害情報の収集を行い、『熊に斃れた人々 : 痛ましき開拓の犠牲』といった一般書も著し、北海道のクマ被害の深刻さを世に訴えかけていた。

 戦前の犬飼のヒグマ観が窺える記述がある。1933年の論文「羆の習性」の中で、ヒグマについて次のように書いている。

“今から50年程前に北海道の山野に暴威を振ひ開墾の進行を阻止していた狼が絶滅してから残る猛獣は熊だけで、北海道を独り舞台に今なお人類と抗争を続けている。然し如何に熊でも到底人類の敵ではない。北海道の未開地の開墾と共に年々多数に捕殺されて早晩滅亡させられる運命にある。”

写真はイメージ ©iStock.com

 北海道の開発と共にヒグマは滅亡する運命にあるとしており、NHKスペシャルで取り上げられた1963年の「人類の敵」とそう変わらない認識だったと思われる。そして、この頃の犬飼は、戦後北海道の人とクマの関係に、大きな影響を及ぼす政策を訴えるようになる。

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1966年に始まった「春グマ駆除」は1990年に中止された

 現在、北海道のクマ問題で言及される事が多いのが、春グマ駆除だ。北海道では1966年から、クマの生息頭数を抑制するために冬眠中や冬眠明けのクマを駆除する春グマ駆除を行っていた。この春グマ駆除を戦前から提言していたのが犬飼だった。

 1932年の論文「北海道に於ける熊の被害(予報)」の中で、犬飼はクマを減らす効率の良い方法として春グマ駆除を提案し、そのメリットを次のように述べている。

“又春季は冬眠後で猟し易い故に、熊を減少せしめんとするなら春季に於ける猟数を増加することが唯一の方法である。この時期は捕殺頭数の割合に人の死傷数は少ない。”

 早春は山林の見通しもよく、クマの発見も容易でハンターが逆襲されることも少ない。この時期に積極的にクマを駆除することで、人の被害も少なく、効率的にクマを減らせることを説いたのだ。1966年の春グマ駆除開始も、犬飼の建議によるものだった。

 この春グマ駆除によって60年代に多発していたクマ被害は減少し、逆に北海道のクマの絶滅が心配されるまでになり、1990年に中止された。現在の北海道のクマ問題を取り上げる時、かつての熊害の少なかった時期、そして近年の熊害増加の要因について、この春グマ駆除の開始と中止がよく言われている。

OSO18(標茶町提供) ©時事通信社

 春グマ駆除が行われるようになってしばらく経つと、犬飼のヒグマ観に変化が見える。1971年に刊行された『熊・クマ・羆』(時事通信社)の序文に次のように記している。