映画『コット、はじまりの夏』は、第95回アカデミー賞でアイルランド語映画として初めて国際長編映画賞にノミネートされるなど、世界各国で高く評価されてきた。1981年のアイルランドを舞台にした、9歳の少女の成長物語は、ひっそりとした日々の情景を細やかに描き、少女を疎外感から解放する。本当に観るに値する、上質な映画とはこういった作品のことを言うのだろう。
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少女が経験するひと夏のできごと。
そう聞いて、ある人は思いを寄せるだれかとの淡い恋を、またある人は仲間たちとのにぎやかな日々を思い浮かべるかもしれない。
でも違う。『コット、はじまりの夏』は恋愛も友情も描かない。というより、そういったきらきらしたできごととはいっさい無縁の、9歳の少女コットの疎外された気持ちにあくまでも寄り添う。
家でも学校でも居場所のない9歳のコット
優れた映画がつねにそうであるように、この映画も簡潔にしてすべてを教える、冒頭のエピソードが印象的だ。
おそらくかくれんぼをしているのだろう。コットは背の高い草むらに姿を隠している。広がるのは殺風景な片田舎の景色。でもオニは彼女を探しにこない。ただ声だけが遠くから聞こえる。
「コット! どこにいるの? 早く出てきなさい!」
一緒にかくれんぼをしていた姉妹たちは遊びに飽き、とっくに家に帰ってしまっていたのだ。
ひとりでとぼとぼと家路に就く、コットの後ろ姿を映すその冒頭が、それだけで彼女の寂しさや悲しみをありありと伝える。
家で姉妹たちがわいわいと話す、その会話にまじれない。学校では、教科書の音読に何度もつかえてしまう。
どこにも居場所のない、少女の息苦しさが痛いほどわかるのは、だれしも経験のあるこういった挿話が丹念に選びぬかれているためだろう。
だから早々にして、観客はコットに共感し、彼女はかつての自分だと、同じ目線になってその後の展開を追うことになる。
大家族から離れ、もの静かな中年夫婦のもとへ
母が出産間近になったコットは、大家族がひしめく家を離れ、出産までのひと夏を母のいとこ夫婦のもとで過ごす。