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空襲を受けた軍都から「リゾート地」へ…戦後「館山」の“変化”
館山には、1930年に館山海軍航空隊が置かれ、軍都としての性質を持ちはじめてゆく。
戦時中、館山には海軍関係の施設が集まり、東京湾要塞の砲台も設けられている。大戦末期、米軍の本土上陸が現実味を帯びてくる中で、帝都防衛の要のひとつとして、また米軍の上陸可能性のある場所として、重要視されていたのだろう。それが災いしたのか、館山市内の一部が空襲被害を受けている。
戦後の館山は、海水浴場や温暖な気候を活かしたリゾート地として発展する。海軍航空隊は海上自衛隊に引き継がれ、いまでは海上自衛隊第21航空群として館山市内に健在だ。
もちろん水産業も盛んで、房総半島の南の端っこという、東京から見たらいわば“果て”のような場所にありながら、まるで最果てにあらず。まったく独立した都市として存立しているといっていい。
そもそも、千葉県は旧国名でいうと南房総の安房国と、県中部の上総国、県北部の下総国に分かれていた。
古くは房総半島に向かう道筋は海路がほとんど。船で安房に渡って房総半島に入り、そのまま上総、下総へ。香取神宮や鹿島神宮という古社が千葉と茨城の県境にあるが、上方からそれらへの参詣ルートも海路を使ったのだろう。
そういう意味で、館山を中心とする安房、南房総は関東地方の入り口のようなものだったのかもしれない。館山は、歴史的にもまったく“果て”などではない。