毒のある女性キャラに魅了されて
「これ、毒です」
『薬屋のひとりごと』を象徴するシーンとしてPVにも使われたこの場面で、悠木碧はひとつのセリフの中で毒と薬を混ぜるように2つの声を使い分けている。猫がマタタビに引き寄せられるように、主人公の猫猫は毒物に魅せられ、それによって新たな免疫を獲得するのだが、声優としての悠木碧も時に、毒のある女性キャラクターに魅了される。
『彼女、お借りします』の七海麻美は、決してファンから手放しで好かれる少女ではない。主人公の木ノ下和也を手ひどく裏切り、理想のヒロイン水原千鶴に罠を仕掛ける悪女ぶりを演じたことで、「麻美が嫌いすぎて悠木碧まで嫌いになった」という声さえある。評価が確立している悠木碧ではなく、新人声優が演じれば潰れてしまいかねない難役だが、彼女はアニメ化される前のWEB CMを担当した時からこの少女に一目で惚れ込み、オーディションで獲りにいったと語る。
「『麻美がどうしても欲しい!どうしても欲しい!』と思ったんです。『こんなキャラ、他では一生演じられんぞ』と思ったし、私が彼女に感じた、二次元のタブーみたいなものを声に乗せたいと思いました」(「ABEMA TIMES」2022年7月14日)
「それこそ麻美のダークな部分って、アニメーションに出てくる女の子のキャラクターから徹頭徹尾消されている部分だと思うんです」(『声優グランプリ』2020年9月号)
七海麻美はただの悪役ではない。厳格な父からの抑圧で自由を奪われた復讐のように自分を傷つける麻美は、物語のマドンナ・水原千鶴と激しい心の真実をぶつけ合う。アニメで今後描かれる予定の2人の対比は、ボーイミーツガール物語である『彼女、お借りします』に、ガールミーツガール、裏返しの友情の物語としての深みを与えている。横浜の視聴者ファンイベントで上映された、七海麻美と水原千鶴たちの架空の女子会を描いたEDムービーをまぶしそうに見上げる悠木碧は、女の子たちが心に抱えこんだ毒がいつか男の子たちの薬になり、免疫となる道を表現者として探しているようにも見えた。
慎重に削られた「毒のある言葉」
だが悠木碧は、決して進んで毒を吐くタイプではない。版を重ねる初エッセイ『悠木碧のつくりかた』は、そのタイトルの通りに自分の半生を再現性のあるマニュアルとして若い読者に手渡す内容であり、そこからは毒のある言葉が慎重に削られている。
「私の放った発言で、私がちょっと燃えるくらいで済むならいいですよ。でも、うっかり強い言葉を使ったことで、『フェンスの縁に立っている誰かの背中を押してしまったらどうしよう』という怖さは常にあります」(「KAI-YOU」2023年10月30日)
「優しいことだけを書いたら、その子たちが声優業界に入った時に傷つくじゃないですか。それはむしろ残酷なことだと思うんです」(「リアルサウンド」2023年12月20日)
得意なことで生計を立て、好きなことは趣味にする選択肢もある、と堅実で再現性のあるアドバイスを若いファンに伝える、薬のようにポジティブなエッセイを光だとしたら、一方で『キメラプロジェクト』という自らが原案を担当する創作では、ダークな寓話で影の部分を表現している。言葉の精霊たちが世界の概念に出会い直す連作。それは彼女が子役時代に初めてアニメ声優として参加した『キノの旅』の影響を咀嚼し、エッセイからは削った毒や影の真実を「仮面の告白」として再構成するプロセスに見える。