もちろん、住民が「ミミズ養殖による土壌改良剤化処分業」ではないことに気づくまでに、そう時間はかからなかった。豊島開発は申請に関する事業内容を偽って県から許可を受けたあと、各地から安い値段で産業廃棄物を引き受け、フェリーなどを使って大量に島へと持ち込んだ。
喘息などの健康被害が相次ぐ
20万平方mを超える広大な敷地内では自動車の破砕クズや汚泥などの有害廃棄物に、かさを減らすべく廃油をかけて焼却する「野焼き」が連日にわたって行われ、島には黒煙と鼻を突き刺すような悪臭が立ち込めた。住民はマスクの着用を余儀なくされ、目の痛み、さらには喘息などの健康被害も相次いだ。
この間にも住民は操業停止を訴え続けたが、県によると「立ち入り検査を行っていたが、廃棄物の認定を誤り、豊島開発に対する適切な指導監督を怠った」とのことだが、豊島開発の違法行為は事実上、黙認されていたというのが実際のところであろう。こうして、悪質きわまりない不法投棄は実に13年も続くことになる。
絶望的な状況に光が差し込み始めたのは1990(平成2)年のこと。兵庫県警が廃棄物処理法違反の容疑で豊島開発を摘発し、処理場を強制捜査。翌1991(平成3)年1月に経営者は逮捕された。
島に運び込まれていた産業廃棄物は実に90万tを超え、40mもの高さまで積み上げられた“ゴミの山”がたたずむ異様な光景が広がっていた。あたり一帯の植生は破壊され、化学反応から地中の温度は50度にまで達する箇所も。高濃度のダイオキシンが検出され、産業廃棄物からにじみ出た真っ黒な水が海岸のあちこちに溜まるなど、史上類を見ない規模で豊島は汚染にさらされていたことが判明したのだ。
事業者が検挙されたことにより、かつての「豊かな島」が取り戻されるかといったら、そうではなかった。豊島事件が全国ニュースになってからは豊島=産廃のイメージが植えつけられた。