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 それに対しては、予想されることではあったが、反対の声も起こった。極端で代表的な声は、保守派FOXニュースでの、ジャーナリスト、レイモンド・アローヨのそれだっただろう。彼は「彼らはなぜスーパーヒーローを性的に描写するのか?」と問いかけ、「私はバットマン、スーパーマン、スパイダーマンの申し子でした。そういったヒーローが大好きだった。私たちはヒーローたちに、悪者を捕らえて欲しかっただけであって、性病に捕らわれて欲しかったわけじゃない。私たちの漫画のヒーローには手を出さないでそっとしておいて欲しいね」と述べた。

 もちろん、スーパーヒーローたちはずっと「性的に描写」されてきた。異性愛者として。スーパーマンの筋肉や性器の形が丸見えのタイツの衣装は、見方によっては性的描写そのものである。アローヨはそのことを無視して、同性にキスした途端にそれが「性的」だと非難したわけである。

 このようにどう見てもホモフォビック(同性愛嫌悪的)な意見のほかには、既存のスーパーヒーローの設定を変えるのではなく、同性愛の新しいヒーローを創造すればいいじゃないかという「穏健」な意見もあった。ただ、この事例は、オリジナルのスーパーマンではなく、その息子がバイセクシュアルだと設定されたということで、新しいヒーローが創造されたと言えるのだから、その意見も的外れだとは思うが。

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画像はイメージ ©AFLO

「多様性」への反動としての「ザ・ボーイズ」シリーズ

 というわけで、ヒーローは分断されている。その分断は、現代のアメリカ社会(そして世界の多くの社会)の分断を表現しているようだ。

 それはつまり、リベラル化し多様化するヒーローたちと、それへの反動としてのマッチョ性やナショナリズム、ポストトゥルースへの居直りという、二つのベクトルへの分断だ。これは、2016年の、ドナルド・トランプが大統領となった選挙戦(就任は2017年)でいかんなく表現された。史上初の女性のアメリカ大統領になる可能性があり、(いろいろと問題はあるものの)フェミニストであるヒラリー・クリントンに対して、排外主義、ミソジニー(女性嫌悪)、反知性主義で人気を得たトランプ。そのようなリベラル化とそれへの反動という分断を、近年のヒーローものとそれを取り巻く議論はそのまま表現しているようだ。