そこから、最近では、「ヒーローもの」というジャンルそのものをパロディ化し、従来のヒーローものが拠って立つ前提を、皮肉な形でひっくり返すような作品が目立ってきている。そのもっとも強烈な例は、メディア企業ヴォート・インターナショナルに奉仕する腐敗したヒーローたちと、そのようなヒーローの被害者の会たる「ザ・ボーイズ」の戦いを描いたテレビドラマ「ザ・ボーイズ」シリーズであろう。
2019年に始まって、今のところ3シーズンが放映されたこのシリーズのヒーローたちのリーダーはホームランダー。この名前(ホームランド=祖国)がそもそも、21世紀アメリカの熱に浮かされたようなナショナリズムと排外主義を皮肉に表現している。そしてそれらのイデオロギーにこびりついているのは、「有害な男性性(トキシック・マスキュリニティ)」だ。スーパーマンのようなマッチョな身体をタイツで覆うホームランダーは、それまでのマッチョなヒーローたちのパロディそのものだ。
またホームランダーだけではなく、ヴォート・インターナショナルはハラスメント体質の色濃い企業である。ヒーローたちのトップである「セブン」への加入を夢見ていた少女アニー(ヒーロー名スターライト)は、その夢の実現後「セブン」の一人、ディープのセクハラ、というより性暴力(口淫の強要)を甘受したりする(このあたりは#MeToo運動で告発された、映画業界のセクハラ体質を揶揄しているだろう)。
つまり、ホームランダーをはじめとするヒーローたちはこのドラマでは「ヴィラン」(悪役)なのである。主人公は平凡な青年のヒューイ。彼は、高速移動できるヒーロー、Aトレインが起こした衝突事故で恋人を目の前で惨殺される。物語は、ヒューイの復讐心を「ヒーロー」たちとの戦いに利用する人間たちの抵抗組織「ザ・ボーイズ」とヒーローとの戦いを主軸とする。
このドラマシリーズはスーパーマン的な男性性を皮肉ると同時に、21世紀アメリカの、とりわけトランプ主義に象徴されるような排外主義やポストトゥルースと結託したどうしようもない男性性を、批判的に表現する。
そのような男性性と対立するのが「多様性」だ。女性、LGBTQ、非白人、障害者なども今やヒーローになれる時代だ。そして、そういった要素が押し出されるたびにそれは話題となり、お決まりのように称賛の声と反対の声がわき上がる。本書で扱っていく作品の多くもその例に漏れない(例えば非白人女性が主人公で、障害者のヒーロー、ゲイのヒーローを登場させた『エターナルズ』)。