次男が配属されたのは、新聞局地方部だった。
新聞局地方部というのは、地方紙の生殺与奪権を握っていて、2011年以前までは独占的に歴代の社長を輩出していた名門部署である。その代わり、地獄のようなしごきで社員を鍛え上げる伝統で知られる「泣く子も黙る」部署でもあった。次男坊の配属は、営業局のゴリ押しに対する、人事局による無言の抵抗だったのであろう。
C社担当の私は、当の次男坊君を知っており、電通入社後の彼と何度か昼食をともにしたことがある。彼はこう愚痴った。
「福永さん、売れないものを毎日売るってたいへんな作業ですよ」
「売れないもの」とは地方紙の広告枠を指す。地方新聞の広告枠には当時でもそれほどの需要がない。
「地方部の社内営業力は絶大だって聞くぜ」
「ハハハ、皮肉ですか」
次男坊は力なく笑った。
広告枠が埋められない新聞局地方部の若手社員が行なうのが「拝み倒し作戦」だ。直接、社長に通じている新聞局地方部を、各局の営業部長は無下にできない。
この関係性を利用して広告を取る。つまり、広告枠をクライアントに売るのではなく、社内の営業局などに買ってもらう。だから、新聞局地方部の若手社員は毎日、電通社内の営業部を駆けずりまわる。「クライアントじゃなくて社内で広告を取る」などと揶揄されながら。
「そういう目で見られながら、忙しそうにしている営業の方々のそばで、広告もらえるまで何時間も頭を下げ続けているんですよ。僕はもう耐えられそうもないんです」
苦労することもなくコネで入社した次男坊は、そういった毎日に耐えられず、1年もたずに退社したのだ。それと時を同じくして、C社のマーケティング部長・古屋氏は別部署に異動になった。こうなれば、もう蚊帳の外。電通にクレームをつけることもできない。クライアント筋が最強のコネなら、こんなことは起こらない。では、最強のコネはなんだろうか。
電通で通用する「最強のコネ」の正体
マスコミである。広告代理店とマスコミ各社は、お互いに取引する広告を介した依存関係にある。株式の持ち合いも含め、その関係性はもたれあいといっていい。
近年では、クライアントの宣伝部長クラスでは子息を電通にコネ入社させるのは難しくなった。それにくらべて、マスコミ関係のコネ入社はまだまだゆるい。私が思うに、それはもはや金銭的なつながりを超えて、「いびつな絆」としか表現できないものである。実際に、電通社内には、地方新聞や地方テレビ局の役員の子息がひしめき合っているし、マスメディア側にも電通幹部の子息が多く入社していく。
電通とマスコミ各社は互いに相手の有力者の子息を囲うことで結束を高める。まるで戦国時代の政略結婚のようでもある