子どもからお年寄りまでわかるような番組は…
そもそもタモリは、わからないことを楽しむ人である。子どものころ『11PM』(日本テレビ系)を見ていたタモリは、番組内で繰り広げられていた大人向けの笑いがあまりわからなかったという。ただ、そのわからなさに、むしろ興味を惹かれた。
「わかんないっていうことがなんだろうっていうのが、(テレビに)興味をもつきっかけなんですよね。だから、わかんないところをいっぱい残しといた方がいいって、ずっと思ってたんですよ、テレビに。それで僕はテレビを必死にみるようになった」(『news zero』日本テレビ系、2018年10月2日)
そんなスタンスは、自身がテレビに出るようになってからも続く。
「僕の場合は、子どもからお年寄りまでわかるような番組をやろうと思ったことは一度もないですね。わかんないところは、わかんないでいい」(同前)
わからないことがおもしろい。だからこそ、タモリは知らない知識に触れたときに驚く。おもしろがる。『ブラタモリ』でも、ベースにあるのは「知らなかったことをおもしろがるタモリ」だった。「知っていることを語るタモリ」は、そんなベースの上のアクセントとして、番組で焦点が当てられる散発的な場面にすぎなかった。
自身が知らない知識に触れたときにこそ、おもしろがる。そんな姿はむしろ、単なる博学以上のより深い知性を感じさせるだろう。知性の人としての、タモリ。私たちが『ブラタモリ』を通じて自身の学びが深まることを楽しめていたとしたら、そんなタモリがいたからこそのはずだ。
「タモリを大きく見せすぎなのでは」という批判も
しかし、である。一方で、こんなふうにも言えるかもしれない。タモリはあたかも知者のようにふるまっていただけなのではないか。周囲が持ち上げすぎなのではないか。実像以上にタモリを大きく見せすぎなのではないか――。タモリには、しばしばそんな批判的な評価も集まる。
このような評価を聞くと、私のようなタモリ好きはちょっとムッとするところもあるわけだけれど、ただ、あらためて考えてみると、この手の批判にはテレビのなかのタモリの一側面に、触れているところがあるようにも思う。