いわゆる危篤状態です。その日はなんとか持ちこたえて後日、親父の容体が安定してから、主治医から「長くても余命は1ヶ月」だと告げられました。
――そういった状況の中、どのような感情を抱きましたか。
すがちゃん どっちかというとそのときは怒りでした。「そんなわけのわからないものを信じて」とか「素直に病院に行っていればまだ生きられたんじゃないの」とか。でも最終的に「それも含めて親父か」という感じではありましたね。
「カッコいい生き方をしろ」亡くなる前日の父親の言葉
――お父さんが入院しているとき、病院で一緒にお酒を飲まれたそうですね。
すがちゃん 僕がお見舞いに行くと毎回「よし、ビール買ってこい、飲むぞ」みたいなスタンスで。担当の看護師さんを僕に「俺の嫁だよ」みたいに言ったり、「ビールとタバコ持ってきてくれ」と言って、看護師さんから「いや無理です」と返されるのを毎回一連の流れのようにやってましたね。
親父が亡くなる前日の夜も、病室で一緒にお酒を飲みました。
――どんな話をされたのですか。
すがちゃん 僕の「直人」という名前は、親父が付けてくれたそうなんです。まっすぐな人になれ、という意味を込めて。だから「自分がカッコいいと思う生き方をしろ、ナンバーワンっていう、その名前にふさわしい生き方をしろ!」と言われました。
翌日、親父が息を引き取ったとき、僕は仕事で看取れなかったんです。こういう仕事を選んだのは僕だから、仕方がないんですけど。すごく悲しかったです。看護師さんがすごく泣いていたのも胸に来るものがありましたけど、親父らしさが詰まった最期だったなと。
自分と同じくらい1軍の息子がいることを知って衝撃
――お父さんの過去の破天荒な行いについて書かれたノートが見つかったそうですが、すがちゃんさんは中身を見なかったそうですね。それはなぜですか。
すがちゃん なんかめっちゃ引きそうだったから(笑)。いや、見ときゃ良かったと思う部分もありますけど、皆まで知るのもな、と。
僕と腹違いの子どもがいる、というのは知っていたんですけど、僕は自分が「親父の子ども」の中で1位だろうと思っていたんですよ、親父にとって。でも、どうやら僕と同じくらい1軍の息子がいるらしいぞ、ということを知ったときは衝撃でしたね。「ダークホース現る」みたいな。だからなんかこう、知らなくていいこともあるというか。
――お父さんの生き方に、影響を受けている部分はありますか。
すがちゃん 影響というか、憧れているかもしれないですね。彼は僕の中にある「能動的に生きている人が羨ましい」という気持ちの、最たるモデルなので。