有効性が立証されていない自由診療のがん治療を、末期がん患者に高額で提供する医者が存在する――ここでは、ジャーナリストの岩澤倫彦氏が日本医療の深い闇に迫った『がん「エセ医療」の罠』(文春新書)を一部抜粋して紹介する。

 日本医科大学腫瘍内科の勝俣範之教授が“エセ医療”と闘う理由とは?(全2回の2回目/前編を読む

※写真はイメージです ©beauty_box/イメージマート

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 がん治療に携わる医師に聞くと、大半はエセ医療に強い憤りを抱いているが、公然と批判する人は極めて少ない。医療倫理の観点では許し難い行為であっても、現時点では違法ではないからだ。また、医療界の重鎮とも言うべき人たちが、エセ医療に関わるようになったことが影響している。がん医療のブランド病院や医科大を定年退職した医師たちが、エセ医療の関連施設に再就職しているのだ。

 さらに、大学の医学部に寄付講座が設置され、エセ医療の関係者が「特任教授」などの肩書きを簡単に得ることが可能になった。いつの間にか日本の医療界にエセ医療が広がり、医師たちにとって、この問題に触れることはタブーになった。

 だが、こうした医療界のタブーなど意に介さず、「エセ医療」を厳しく批判し、SNSも駆使して警鐘を鳴らす医師がいる。がん自由診療をめぐる裁判で証人になった勝俣教授だ。

「がん治療は信頼関係が大切」

 手塚治虫の「ブラック・ジャック」のような外科医に憧れて、国立富山医科薬科大学(現・富山大学)に入学。医師免許を取得後は大学の医局には入らず、徳洲会病院で救急医療など臨床医として修業を積んだ。この90年代に担当した肺がん患者との出会いが、医者としての方向性を決めた。

「当時は、がんの告知をしないのが一般的でした。担当した肺がんの患者さんは、抗がん剤の辛い副作用で心が折れそうになるたびに、『本当はがんじゃないのか?』と聞いてくるんです。上司の医師が告知しない方針だったので、患者さんには『肺腫瘍です』とごまかしていました。

 やがて、患者さんが抗がん剤に耐えられない状況が来たので、私の独断で肺がんであることを伝えました。すると患者さんは『本当のことを言ってくれて、ありがとう』と言って、抗がん剤治療を継続してくれたのです。がん治療は信頼関係が大切であることを、この患者さんは教えてくれました」

 この経験から腫瘍内科医の道に進むことを決め、国立がんセンター中央病院で抗がん剤治療による薬物療法に約20年間従事した。

 2011年に、日本医科大の武蔵小杉病院で、新たに腫瘍内科を立ち上げて現在に至る。EBM(科学的根拠に基づく医療)による、抗がん剤治療のガイドライン作成メンバーでもあり、がん医療の啓蒙活動や患者会にも積極的に参加している。

 私(筆者)が初めて彼に会ったのは、2013年に埼玉で開かれたリレー・フォー・ライフの会場だった。これは、がん患者や家族を支援するチャリティー活動だが、勝俣教授はそこにアマチュアバンドのボーカルとして出演していたのである。ギターを抱えた姿は、医者らしくない人というのが第一印象だった。