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闘う決意をした出来事

 腫瘍内科医として、常に進行がんの患者と向き合う日本医科大学の勝俣範之教授に、「エセ医療」を放置してはいけないと決意させた出来事があった。

「抗がん剤治療をやめて免疫細胞療法に切り替えてしまった、30代の卵巣がんの人がきっかけでした。『病状が悪くなったら、ここに帰ってきてくださいね』と外来の予約もしたのに、来なくなってしまった。電話にも出てくれない。最後はどんどん悪化して、腹水が溜まっているのに免疫クリニックは診てくれなかった。結局は救急病院に運ばれて、救急室で亡くなったと聞き、もっと強く阻止しておけばよかったと後悔しました」(勝俣教授)

 様々な自由診療の免疫クリニックがあるが、どこも同じような宣伝文句を並べている。“副作用が少なく、通院治療が可能”と“ステージ4でも諦めない”は定番だ。

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『がん「エセ医療」の罠』(岩澤倫彦 著、文春新書)

 抗がん剤治療の辛い副作用に耐えている患者にとって、こうした謳い文句は朗報のように思えるだろう。だが、ステージ4の患者が急変した時に、免疫クリニックには対応できる入院設備も専門的なスキルもない。実際のところは“通院治療しかできない”のだ。

 勝俣教授には、もう一つのエセ医療に関する苦い記憶がある。

免疫クリニックの残酷な仕打ち

「この患者さんも卵巣がんの女性で、腹膜播種(がん細胞が種を播いたように腹膜に広がった状態)になって、腹水がどんどん溜まってしまった。こうなると抗がん剤も効きづらいので勧められません。患者さんはどうしても免疫細胞療法をやりたいと言って始めましたけど、効果があるわけがない。どんどん悪化していくのに、免疫クリニックの院長は『まだ効果があるかもしれない。まだ可能性があるから頑張りましょう』と言って延々と治療を続けたんですね。

 とても具合が悪くなったので訪問診療に切り替えて、しばらくしてから彼女は亡くなりました。その後に挨拶にいらした夫に聞いたら、実は亡くなる前日まで免疫クリニックに通っていたと。ほとんど動けなくて、息も絶え絶えで誰が見ても危ない状態だったのに、這うようにタクシーに乗って行ったそうです。ショックを受けました……」

 これが免疫クリニックの“ステージ4でも諦めない”という実態なのだ。耳当たりの良い言葉の先に、こんな残酷な仕打ちが待っていると分かっていたら、女性は免疫細胞療法を受けたであろうか。

「患者から金を取るため、そこまで非人道的なことをやれるのか。患者さんの夫からこの話を聞いて、免疫クリニックの医者を絶対に許さないと決めました」

 こうして勝俣教授は、SNSなどを使ってエセ医療に関する注意を広く呼びかけるようになった。がん医療のインフルエンサーとして、注目される存在になっていたが、予想外の反応が起きる。免疫細胞療法の第一人者を自負する医師が、自分のクリニックに勝俣教授を呼び出したのだ。

◆勝俣教授と自由診療の医師たちとの対決、その予想外の顛末については『がん「エセ医療」の罠』に掲載されています。

がん「エセ医療」の罠 (文春新書)

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岩澤 倫彦

文藝春秋

2024年5月17日 発売