半島と結ばれていた2つの橋が通行止めに
海岸の地震で心配されるのは津波だ。気象庁は2回目の揺れの2分後に津波警報を出した。さらにその10分後、大津波警報に格上げする。
「水族館からの帰りは、防潮堤がない海岸沿いの道路を通ります。このため、多くのお客様が水族館の高台で待機したようです。携帯電話の緊急地震速報がひんぱんに鳴り、余震も続きました」と高橋係長は話す。間もなく日が暮れた。
能登島は東西13.5km・南北8.6kmの大きさだ。能登半島の中央部がえぐれた七尾湾に浮かぶ。
半島とは、能登島大橋(橋長1050m)と、中能登農道橋(愛称・ツインブリッジ、橋長620m)の2橋で結ばれていた。
地震の後、これらが全て通行止めになり、島から出られなくなった。
その情報を入手した職員が、駐車場で待機する来館者に知らせて回ると、「帰れない?」「いつ開通するの」と愕然とする人もいた。
元日の夜は寒い。
余震が激しくて館内に入ることはできず、来館者はそれぞれの車で寒さをしのいだ。職員も交代で車に入って暖を取った。
「食べ物はなく、館内の売店にあったお菓子や飲み物を配ることしかできませんでした」と高橋係長は言う。
「オムツの換えはないか」と尋ねてきた来館者もいた。予備のオムツは日頃から準備していた分を渡した。水族館としてできたのは、せいぜいこれぐらいだ。
能登島は多くの地区で停電していたが、水族館は一瞬停電しただけで電気が通じた。真っ暗闇にならなかったことだけが救いだった。
地震直後、島内の集落に津波が来襲
高橋係長らは手分けをして島内の情報を集めた。避難所が開設されたらしいという話を聞いたが、本当かどうか分からない。そこで高橋係長は同僚と一緒に車で確認に向かった。
この時、道路が海水に濡れていて、津波に襲われたのだと分かった。漁船も陸に打ち上げられているのが見えた。
どのような津波だったのか、住民の証言を記しておきたい。
高橋係長らが津波の痕跡を目撃したのは、向田(こうだ)漁港の辺りだ。
同港で漁師をしている橋下一博さん(73)は「2回目の揺れがあまりに激しかったので、『屋内にいたら危ない』と、まだ地震が収まらないうちに、はうようにして外に出ました。周囲では『津波が来るぞ』と叫ぶ人もいました。津波警報や大津波警報が出たという防災無線の放送も流れます。『とにかく逃げないといけない』と、すぐさま車で高台に避難しました」と語る。
集落にはその直後に津波が来襲したらしく、道路から1.5mほどの高さに浸水した。もし、水族館の来館者が慌てて逃げようとしていたら、命を失いかねなかった。