1ページ目から読む
2/3ページ目
山本周五郎は本質的に短編作家だったのでは
《小雨が靄のようにけぶる夕方、両国橋を西から東へ、さぶが泣きながら渡っていた》
冒頭の、その一行を読んだだけで、私は不覚にも涙が出そうになってしまった。理由は自分でもよくわからなかった。恐らく、その一行によって、長く離れている日本の風景が現前するように感じられたのかもしれない。
旅に出て一年後に日本に戻ると、私はあらためて山本周五郎を読みはじめた。そして、日本にはこのような作家がいたのかと震撼させられた。
二度目に出会ったのは、それから数年たったある日のことだった。
私の家に新潮社の編集者から連絡があり、会うと意外な仕事の依頼をされた。新しく新潮社から日本文学全集を出すことになったが、その山本周五郎の巻に解説を書いてくれないかというのだ。私は喜んで引き受けると、「山本周五郎小説全集」の全三十八巻を机の上に積み上げ、そのすべてを読み、『青べか物語』を軸に「青春の救済」という山本周五郎論を一気に書き上げた。
そして三度目が、この半年前だった。
文春文庫の編集部から山本周五郎の短編のアンソロジーを編んでもらえないかと相談されたのだ。
私は未読の短編を読むよい機会だと思い、これも喜んで引き受けた。そして、三百編に達しようかという山本周五郎の短編群を時系列に沿って読み直した。
読んで、溜め息が出た。もしかしたら、山本周五郎は本質的に短編作家だったのではないかと思えるほど、粒ぞろいだったからだ。