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開高健の評にいま、思うこととは
しかし、そのあとで、いくらか類型化したものや、同工異曲と思われかねない重複した結構を持ったものを除き、真に傑作と思われる六十編を選び出してみた。
さらに、そこから「名品」と呼ぶにふさわしい三十六編を選び抜き、全四巻に編み直した。そして、私は、それを「山本周五郎名品館」と名付けることにしたのだ。
かつて開高健がこんなことを書いた。
《山本さんは“女”については、どうやら、一人っきりのイメージを持っていて、それをつぎからつぎへと作品のなかで増殖させてゆくのだ》
だが、この「名品館」に登場する女性たちは、たとえば第一巻のおさんや菊千代やふさなど、かつてどんな作家も書かなかっただろう独特な人物像であり、それぞれに大きく異なっている。
山本周五郎自身は、開高健のその評言に対して、ただ笑っているだけだったというが、内心そんなことはないと思っていたことだろう。
しかし、純文学とか大衆文学といった無意味な区分けではなく、真の文学の頂に登りたいと精進を続けた山本周五郎にも、若い純文学の担い手たちに褒められることを嬉しがるところがあったという。
そこに、やはり、時代小説の作家だった山本周五郎の哀しみのようなものがあったと言えなくもない。
だが、少なくとも、「山本周五郎名品館」のこの四冊を読めば、多くの人が、単なる時代小説という枠組みを超えた、豊饒で芳醇な日本文学の財産に出会えたという鮮烈な印象を受けることになるはずだ、と私は信じている。
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