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この星は、自分のためにある

 躾は、世間と子どもを対峙させ、子どもの脳を緊張させる行為だ。世間は厳しい、ちゃんとしないと大変なことになる、と。よく躾けられた子はお行儀が良く成績もいい。大人になればエレガントで、周囲に信頼もされるし出世もする。たしかに、躾けられることには大事な一面もある。それに、兄弟姉妹が多かったり、両親共に仕事があって核家族だったりしたら、子どもたちをある程度躾けておかないと、日々の暮らしを回してはいけない。聞き分けのいい長子がいて、やっと回っているおうちだってあるはず。公共の場では、身を守るために守らなきゃいけないルールもある。道路に飛び出していいわけじゃないし、砂場で、他人のおもちゃをいきなりつかんだり、ほかの子に砂をかけたりするのは、もちろん止めなきゃならない。

 だから、躾が全面的に悪いことだなんて、私は思わない。ただ、躾のマイナス面も知っておいたほうがいい。世間体を気にしすぎる親に育てられると、子どもの脳は「この世の主体は世間であって、自分はその一部分にしかすぎない」と感じる。このため「いい子でないと存在価値がない」と思い込む。

 でもね、本当は、脳の主人公は自分。この星は、誰にとっても、「自分のためにある」ものなのである。本来、そう感じるように、脳は作られている。

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 子どもたちだけじゃない。すべての人に、無邪気な時間を過ごしてほしいと私は思う(生活時間のすべてでなくていいから)。心に浮かんだことをそのまま肯定できる、そんな時間を。心に浮かんだことをそのまま言動に移しても、きっと周囲が受け止めてくれると信じられる、そんな時間を。そういう時間を確保されている人にとっては、人生は自分のものになる。この星も、自分のものになる。

 私たちの世代は、躾けることで子どもを育てた。「はじめに」にも書いたけれど、それが20世紀に必要とされた子育てだったからだ。その過去を悔いる必要はないけど、自分の子育ての方針を、孫にそのまま使うつもりでいると、孫にとっても、その親たちにとっても酷なのである。

 昭和生まれと、昭和生まれに育てられた人たちの心の中にある、「世間様に迷惑をかけないように、自分と子どもを律するのは美しいこと。せめてそういう姿勢を見せないと恥ずかしい」という気持ちを、この際、捨ててください。