〈クラスにいるときは、Kとしか話さなかった。Kって特技がひとつだけあって、学校の全員の名簿を暗記してるの。バスの中で一緒になったとき、「あいつの住所は?」ってきくとペラペラペラって出てくるの。見たこともない下級生や上級生の電話番号とか兄弟もわかってる。で、高校になるとみんな色気づいて下敷きの中にアイドルの写真とか入れてくるじゃん。Kも突然入れてきた。何かなと思って見たら、石川さゆりだった。「好きなの」って言ったら、「うん」〉(『月刊カドカワ』)
また『クイック・ジャパン』では、沢田君の母と本人も少しだけ登場して、ライターの村上の質問に答えている。そこで母は「小山田君とは、仲良くやってたと思ってました」と言い、本人は村上の小山田と仲が良かったかという問いに「ウン」と語っている。
記事の最後、小山田はこんなエピソードも語っていた。
〈卒業式の日に、一応沢田にはサヨナラの挨拶はしたんですけどね、個人的に(笑)。そんな別に沢田にサヨナラの挨拶をする奴なんていないんだけどさ。僕は一応付き合いが長かったから、『おまえ、どうすんの?』とか言ったらなんか『ボランティアをやりたい』とか言ってて(笑)。『おまえ、ボランティアされる側だろ』とか言って(笑)。でも『なりたい』とか言って。『へー』とかって言ってたんだけど。高校生の時に、いい話なんですけど〉(『クイック・ジャパン』)
インタビューの終盤、私は小山田の目を見据えて、少し語気を強めてこう質問した。
――沢田君が今、目の前にいたとして、小山田さんは彼が「友人」だと、本人の前で言えますか?
小山田は即答した。
「はい。できます」
そして、こう続けた。
「自分が雑誌でおもしろおかしく語ってしまったことは、本当に申し訳ないと思います。間接的にですが二次被害も与えてしまっているわけですから。今さら友人と言っていいのかなという思いもある。今、自分が親になって、自分の子どもがそういうふうに語られていることを想像したら……。ご家族や、同じような経験をしてこられた方が、雑誌で語られることで、どんな思いをされるのか。当時はそんなことも想像できなかったのです。本当に恥ずべきことだと思っています」
◆◆◆
炎上の渦中、「週刊文春」の取材に答えた小山田は、かつての雑誌記事で報じられた「うんこを食わせてバッグドロップ…」といったいじめの事実を否定した。
では、当時の現場では何が起きていたのか――? なぜ、「ロッキング・オン・ジャパン」「クイック・ジャパン」両誌に、このような記事が出たのか。そして、テレビ番組のレギュラー、ライブ活動などを失い、1年近く実質謹慎――、小山田がここまで追い詰められねばならなかった理由とは。
発売中の『小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相』では、小山田本人への20時間を超える取材を含め、開会式関係者、小山田の同級生、掲載誌の編集長と取材を進めるうちに見えてきた、「炎上」の「嘘」を追う。