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 堀江は福岡県八女市の出身で、東大に進んで以来、東京で暮らしている。先ほど尾道には「縁もゆかりもないように思われた」と書いたが、実は全く無縁だったわけではない。

 現地で堀江を迎えたのが神原眞人だった。明治時代に神原勝太郎が創業した汽船会社を前身とする老舗造船会社、常石造船(現ツネイシホールディングス)の3代目社長である。

 当時は息子の勝成が社長となってすでに8年がたっていたが、この地で絶大な影響力を誇っていた。

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 常石造船の登記上の所在地は福山市だが、地理的にはちょうど福山と尾道の間くらいに本拠がある。ベラビスタも常石が運営するホテルだ。

 神原は元首相の宮澤喜一を支援し続けてきたことで知られている。ベラビスタにも足を運び、堀江には「宮澤さんのように天下国家を語れる政治家になってくれ」と激励した。

 これには個人的な縁があった。神原眞人の娘である末松(旧姓・神原)弥奈子は、堀江とは古くからの起業家仲間で、共著で本も出したことがあった。

 ただ、常石造船の地盤は広島県の東側に広がる福山市を中心とする広島7区だ。一方、堀江が出馬した広島6区は、ちょうどベラビスタがあるあたりから西側に位置する尾道を中心に、北側に広がる中国山地の山あいへと延びる広大なエリアとなる。選対本部長を務めた園田によると、実際の選挙戦では神原家や常石造船による組織票の提供など表だった支援はなかったという。集会や演説には常石造船や取引先の社員が駆けつけることもあったというが、それでも支援の範囲は限られたものだったようだ。

「結果がすべて。勝たなきゃダメです」

 堀江自身がすっかりのめり込んだ夏の選挙戦――。結果は11万票を獲得した亀井に対して、堀江は8万4000強で敗退した。おおかたの予想を覆す大接戦と言ってよかった。

©文藝春秋

 投開票が行われた9月11日。ライバルである亀井の当選確実の速報を、NHKをはじめテレビ各社が続々と流し始めると、すし詰め状態の選挙事務所には落胆のため息が流れた。

 堀江が支援者を前に敗者の弁を述べた。

「もうひと踏ん張りが足りなかった。結果がすべて。勝たなきゃダメです」

 堀江の出馬はおおかたライブドアのアピールのためだろうという見方が強かった。ただ、後々になっても堀江は本気で議席を取りに行ったことを何度も強調している。これは園田をはじめ、堀江の選挙を間近で支えてきた者たちに共通する見解だ。

 敗戦の夜、いつもは勝ち気の堀江が珍しく大勢の前で涙を流したことが、なによりも堀江の本気度を表していた。

 徒手空拳で政界の大物、亀井静香に挑んだ堀江は善戦の末、敗れた。それは堀江がライブドア社長として過ごした最後の夏だった。