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“蒸気機関車の夜行列車”は「夜も走らせたらどうか」の一言で生まれた? 秩父鉄道の現場スタッフ総出で実現した“奇跡の人気イベント”

夜行列車の郷愁

18時間前

genre : ライフ, 社会,

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 そこで、夜も走らせたらどうか、というアイデアが生まれた。2018年から運行し、人気が定着すれば、電気機関車と客車の組み合わせも味わい深いことを知ってもらえる。だいたい夜行列車と言うだけで、昭和世代の鉄道ファンには郷愁がこみ上げる。

発車前のプラットホーム(筆者撮影)

 もともと夜行列車は「夜間に移動すれば、到着地で朝から活動できる」という実用的な列車だ。それは現在の夜行高速バスにも受け継がれている。しかし、夜行列車の魅力はそれだけではない。日常から離れてゆっくりと旅になっていく。自分は遠くに行くんだと、覚悟するための列車だった。

 賑やかな都会を出発し、深夜の住宅街を通過する。夏は部屋の中まで見えてしまう家があり、きっとテレビで野球を観戦しながら、お父さんがビールを飲んでいるだろう、などと思いを巡らせる。

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 列車の窓ガラスの中は旅、外は日常だ。夜も更けて、車窓に現れる建物の灯りが減っていく。やがて街灯だけが蛍のようにぽつん、ぽつんと通り過ぎていく。明るい場所と言えば駅だけだ。しかしそこに人はいない。

どこへ向かおうと、夜行列車の旅人の心には通じるものがある

 列車は闇に包まれて、車内灯も少し暗くなる。防犯のために真っ暗にはならないけれど、眠りを誘う。寝台車は横になれるけれども、座席客車は窮屈だ。しかも普通列車の4人掛けボックスシートは背が垂直で硬い。そんな窮屈な姿勢で、豪胆な者は眠り、繊細な人は眠れずに思いにふける。

真四角な空間で眠る姿勢に苦労した思い出(筆者撮影)

 やがて夜が明けて建物や山の形が見えてくる。しかし外の世界の人々は眠ったままだ。車窓が明るくなるにつれて、犬を散歩させる人、通学する児童や生徒が現れる。目的地に着く頃は、もうその土地の日常が始まっている。この土地の人々と同じ歩調で歩けるだろうかと、少し不安になりつつ、終着駅に着く。

 都会へ向かう夜行列車に乗る人はどんな気持ちだろうか。住み慣れた街の夜。暗い車窓に自分の顔が映っている。その瞳は希望に燃えているか、不安で揺れているか。目的地は大都会だ。この土地になじめるか。同じ歩調で歩けるか。どこからどこへ向かおうと、夜行列車の旅人の心には通じるものがある。

 石川さゆりの名曲「津軽海峡・冬景色」は、夜行列車を降りたところから歌い出す。でも、昭和の夜行列車を知る人々は、青森駅に着く前の主人公の心情を想像できる。前奏にも歌詞があり、聞く人の心を映す。だからあの曲は歌い出しから心に響くのだ。