その人の愛しかたにこそ、生き様が現れる

 その人の愛しかたにこそ、生き様が現れるように思う。守ると決めた人に全てを賭して包み込むように愛する人もいれば、愛しているからこそ、獅子のようにわが子を谷底へと落とす者もいる。人を愛する覚悟を持たぬまま、ずるずると流されていく人もいよう。影山莉菜のそれは、熾のようにいつまでもいつまでも、燃え続けるものだった。

 自分の恋の不始末で義父の博人を喪った影山莉菜は、亡父の跡を継いで釧路の街を裏から牛耳る黒幕となった。たったひとり博人の血を引く武博を後継者として育て上げ、いつか代議士として国の赤絨毯の道を歩ませるため、彼女は裏切り裏切られる修羅の道を行く。

 物語の冒頭から老いた代議士を接待する倒錯的で艶麗な描写で始まり、使えるものなら何でも使う莉菜の冷酷さと隠しようもない美しさ、それでいて決して一線を越えさせはしない強かさが強烈な印象を残す。

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 作者は「守りたいものがあれば いくらでもワルになれる そんな女を書きました」という。目的のためなら何だってやると腹を決めた女ってやつは、どうしてこんなにも魅力的なのだろう。臓物のひとつやふたつくれてやる、そんな風に啖呵を切るがごとくに生きる女の鮮やかさったらなくて、その手負いの熊のような気迫に、妖しく光る眼差しに、どうしたって憧れて仕方がない。ああ、姉御って呼んでまとわりつきたい……。疎まれ邪見にされると分かっていても、呆れ笑いでもいいから見てみたくって、その凍てた眼に自分を映してみたくて、生きることを諦めているようなその人をできるならこの世に引き留めたくて、バカみたいにふざけて子犬のようにじゃれついてしまう癖が私にはある。悪意や欲望に敏感な彼女たちは、同じくらい混じりけのない心もくみ取ってくれるものだから、多分可愛がってくれるはず。ばかだなあって言って頭を撫でて欲しい。よくやったって褒めて欲しい。莉菜に出会ってしまったら、きっと私は喜んでその手駒となり道を踏み外すことだろう。どんなに愛したとしても、男のために命は張れない。むしろ嬉々として私の盾になるような男が私の好み。けれど慕った女のためならば、性欲でも情欲でもなく敬愛のためならば、私はためらいもなくこの手を汚す。だから本当は、あんまり莉菜に会いたくない。

物語の舞台。釧路の街の夕景。