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シンガポールで稼いだ金を宝石に換えて引揚船に乗ったが…

ひとりになった後もホテル経営は順調だったが、太平洋戦争の開戦を機に客が減り、閉鎖を余儀なくされる。そして戦中、シンガポールなど東南アジアに住む日本人は、イギリスによってインドに抑留された。春代も「インドのキャンプ(収容所)にいた」と語っている。春代は、終戦後の1946年頃にインドから帰国した。

宮崎康平の未完の小説『からゆきさん物語』で妻・和子さん執筆のあとがき(『からゆきさん物語』の出版にあたって)によると、ホテル経営で得た財産を宝石に換えて引揚船に乗ったが、その後だまされてほぼすべてを失ったと明かしている。帰国後は島原で近所の子どもの面倒を見るなどしてわずかな収入を得て、亡くなった妹の子どもを育てたという。

以上が、主にテープで語られた「からゆきさん」の声の概要だ。

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春代の最晩年の様子はよくわかっていない。春代の墓に刻まれた没年によると、インタビューから6年後、80歳頃、その生涯を閉じた。

春代は最期の時、何を思ったのだろうか。

【参考記事】毎日新聞 「1日で49人の相手を…」 過酷な労働、波乱の人生赤裸々に 「からゆきさん」肉声テープ発見

牧野 宏美(まきの・ひろみ)
毎日新聞記者
2001年、毎日新聞に入社。広島支局、社会部などを経て現在はデジタル編集本部デジタル報道部長。広島支局時代から、原爆被爆者の方たちからの証言など太平洋戦争に関する取材を続けるほか、社会部では事件や裁判の取材にも携わった。毎日新聞取材班としての共著に『SNS暴力 なぜ人は匿名の刃をふるうのか』(2020年、毎日新聞出版)がある。