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先述した『サンダカン八番娼館』は、山崎朋子が、天草に住むからゆきさんだった女性、おサキさんと3週間生活を共にし、その際に聞き取った娼婦時代の話をまとめたものだ。嶽本新奈氏が指摘するとおり、おサキさんが語る娼婦の体験は、春代の証言と多くの共通点がある。

おサキさんは9歳の頃、家計を支えるためにボルネオ島のサンダカン(現マレーシア)に渡り、22歳から娼婦として働くようになる。忙しいときは一晩で30人の客を取ったといい、客ごとに陰部の消毒を欠かさなかった。

そして、春代と同様、日本人客について「(現地住民や英国人、中国人らと比べて)一番いやらしかった。うちらの扱いが乱暴で、思いやりがなかった」と嫌う。

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おサキさんも春代も外国人と接することで、日本人男性の身勝手さを知るようになったのだろう。

1年半でイギリス人に身請けされ、「ダイヤモンドおなご」と呼ばれる

春代は1年半、娼館で働いた後、18歳でイギリス人のフォックスという男性(当時27歳)に身請けされる。「身請け」とは、娼館への借金を肩代わりして精算し、娼館をやめさせることだ。シンガポールでは、そのようにしてイギリス人が現地で娼婦を愛人にすることは珍しくなかった。

当時春代には他に好きなイギリス人がいたが、強引に身請けしたフォックスと8年間暮らすことになった。フォックスは宝飾品をたくさん買い与え、島原の実家にも送金してくれた。身請けされた後、春代は日本人の間で「ダイヤモンドおなご」と呼ばれることもあり、経済的には不自由のない生活を送ることができた。

しかし、結婚をして子どもを持つという生き方は選べなかった。22歳の頃、妊娠が分かった際は、フォックスに中絶と不妊手術を迫られた。「ハーフで生まれると子どもが差別に遭う」「正式に結婚しておらず、日本人娼婦との関係はイギリス人コミュニティで悪く言われる」といった彼の言う理由からだった。春代は自分も承諾して手術したと説明するが、こう漏らす。