「個性」や「自由」という用語を使わせているのは大人ではないか
「個性」と「自由」が客層に向けたある種のマーケティング的な用語であることに武田さんは鋭敏に気づいてしまう。「多様」も同じく、見えないレイヤーで予め決定された範囲内での「多様」しか我々の社会では許されない、ということにもお気づきでいらっしゃることでしょう。その範囲を一歩でも踏み出せば、あっという間に炎上の火種になってしまう。許される範囲内での「多様」の中で、カッコ付きの「個性」や「自由」という用語を使わせているのは大人ではないかという罪の意識を持っていらっしゃるのですよね。
その武田さんの姿勢には、真摯なものがあると思います。もしかするとそこまで見通せる武田さんなら、当ご相談ももちろん読者がご覧になることを想定して設計されているのだろうとも思いますし、その知性の切れ味にセクシーさすら感じます。
私自身ももちろん、若者たちに伸び伸びと頑張ってほしいと思います。ただ、仮に若者たちにユートピアを用意してあげられたとして、それが本当に若者にとって望ましいことなのかどうかは、科学的にはなんともいえないというところが悩ましいんです。
ユートピアを用意したはずが、ぞっとするようなディストピアが
1970年代にアメリカの人口学者が行った実験があります。これは「ユートピア実験」と呼ばれることもあり、ユートピアを用意するとその集団は絶滅する、という逆説的な結果になることで知られています。
まず広さ、安全、清潔さ、豊富な餌など何もかも揃った環境をネズミに用意します。初めのうちは個体数が増えていきますが、やがてオスたちの間に格差が生じ、力を持ったアルファオスは弱者であるベータオスを攻撃して排除し始めます。メスたちはアルファオスに群がりますが、いずれのオスにもメスを守る余裕がなくなり、メスも自ら攻撃力を持ち始めます。
その分、巣づくりの力が削がれて子ネズミの生存率が単調に下がっていきます。そして少子化の時代がやってくる。まともな育てられ方をしていない子世代は大人になっても子育てができなくなり、さらにこの様相が進むと異性に興味を持たなくなって交尾すらしなくなるのです。一方でオス、メス構わず、子ネズミまで犯すオスが現れる。ユートピアを用意したはずが、ぞっとするようなディストピアが出来上がる。