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パニック状態の時に来た狩猟の師匠からメール

――世間からも大きなバッシングを受けた。

「文春だけではなく、すべてのメディアがそうですが、情報が全部正しいっていうことはやっぱりなくて。自分には見覚えのないことでも拡散、流布されて、悪評が倍加されていって。だいぶ生きにくいところからリスタートだなと思いました」

――自分についての誤った情報を人々が信じている状況。

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「そうですね。『僕、そんな生活送ってないのにな』と思っているのが段々と、『もしかして僕、そんな生活を送っていたのかな』とすら思えてきて。すべてを疑い出すみたいな感じがありましたね。この日本中に居場所はないかもと、ある種のパニック状態にあった時に狩猟の師匠、服部文祥(ぶんしょう)さんからメールをいただいたんです」

©文藝春秋/釜谷洋史

――服部文祥さん、食料をほぼ持ち込まず、現地調達するスタイルの「サバイバル登山」を実践する方ですね。

「はい。『俺は気にしねえから、山に遊び来いよ』と言っていただいて。騒動後にそんなことを言ってくれる人はいなかったんで、『行っていいんですか?』と聞くと、『別に山は誰のもんでもねえから、お前の勝手だろう』と」

――その言葉に心を動かされて?

「生きていかなければならないんだけど、どうやったら生きていけるだろうと考えている時だったので、服部さんという憧れの人の背中を見て、生きていけるヒントを見つけられればと思って山に来ました」

草木や動物は、僕の騒動に関係なくそこにあった

――実際に山を歩いて、どうでしたか?

「四季折々の変化はあれど、そこに息づいてる草木や動物は、僕の騒動があろうがなかろうが、僕の人生がどうなろうが全然関係なくそこにあった。それを見て、僕が山を一人で歩いてた時間や、山で獣を捕りたい、山に行きたいと願った時間は絶対嘘じゃない、と思えたんです。“変わらない真実”みたいなものを目の当たりにした気持ちでした」

©︎文藝春秋/釜谷洋史

――そして、この場所にたどり着いた。

「当時はフリーの猟師として山に入っていたんですが、21年の冬に山中で車がパンクしてるところをこの家の持ち主である義守さんに助けていただいて。そこからのご縁で、『こっち住んだらどうだ』と声をかけていただき、移り住んだ形です」

――移住を機に、こちらの猟友会にも入って。

「そうですね。最初は『どこの馬の骨か分かんない……』とも思ってらっしゃったはずですけど、でも僕が狩猟に対してものすごい真面目だったり、動物が好きという気持ちが伝わって、『こいつ悪くねーな』って思ってくださったんだと思います」