「むしろ、YouTubeに依存しているのは、親のほうである。子供たちがYouTubeを見ているあいだは、親は育児から解放される。この解放感には抗しがたい力があり、ついつい子供にYouTubeを見せてしまう」

 かつて子育てのためにiPadを導入した浄土宗・龍岸寺住職の池口龍法さんだが、その目論見ははかなく崩れてしまう…。子育てに「iPad」を導入して、後悔した理由とは? 池口さんの新刊『住職はシングルファザー』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

写真はイメージ ©getty

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 そんなわけで、離婚したての私の目の前にあったのは絶望的な状況だった。とにかく、育児初心者でも実践できる当たり前のことから、積み重ねていくしかないと思った。

「千里の道も一歩から」「ローマは一日にして成らず」という格言に似た言葉で、仏教には「車に乗る人は涅槃に至る」というのがある。今の自分が、「さとり(涅槃)」というゴールからいくら遥か離れていたとしても、その終着点に向かう車に乗って生きていれば、やがてはたどりつく。もともとの経典の言葉は実はもう少し長く、「車に乗る人は、男性であれ女性であれ涅槃に至る」と、当時地位の低かった女性にも、さとりが平等に訪れることを説いている。要するに、自分の置かれている境遇や立場などを嘆いたところで無駄で、それよりは前へ向かっていくことのほうがよほど大切なのである。

 家族において最初の一歩は、メリハリのある規律正しい生活だと思った。特に、iPadに子守を任せるのではなく、子供ときちんと向き合うところから始めることにした。

 もちろん、タブレットやスマートフォンが、育児の役に立つと考える家庭もあるだろう。これは、各家庭で判断が分かれるところではないか。

 うちの場合は、タブレットやスマートフォンを、率先して子供に使わせていた。

iPadを育児に取り入れたのはいいものの…

 長女が誕生したのと同じ2010年に、初代iPadもこの世界に生を受けた。間もなくして我が家にiPadがやってきた。娘はiPadがいつもそばにある環境で育ってきたから、立って歩けるようになると、テレビの画面をiPadのようにタッチしたりスワイプしたりして、何も反応がないことに驚いていた。私たち夫婦は、娘が驚いているその様子に驚いた。

 iPadを購入した時は、知育アプリで知識を身につけたりするのには便利だし、あわよくば子供が知育アプリを使っているあいだに家事を……という目算があった。ネイティブが歌う「ABCの歌」を繰り返し聞いた娘は、いつの間にか、親よりも綺麗に英語を発音するようになっていた。知育アプリならではの教育である。だが、子供が従順に知育アプリで学び続けるはずはない。振り返った時に落胆とともに目にするのは、知育アプリなどそこそこに、いつの間にかYouTubeの沼地にはまり込んで、いつまでもそこから抜け出せない子供たちの姿だった。