国宝・松江城の近くで建設が進んでいる高層マンションをめぐって、島根県松江市が揺れている。歴史評論家の香原斗志さんは「地元行政が景観保護に対してあまりに無自覚だったことに驚かされる。市はいま手を打たないと、大きな負債を背負うことになる」という――。

筆者撮影

奇跡的に築城以来の景観を残した松江

太平洋戦争末期、日本全国の都市が米軍機による空襲を受けた。主として攻撃目標とされたのは各都道府県の主要な産業都市で、いきおい都道府県庁所在地が焦土と化す場合が多かった。そんななか島根県の県庁所在地である松江市は、市内玉湯町の基地や列車が爆撃されはしたものの、市街地が焼かれることはなかった。結果として松江城天守も、いまに伝わることになった。

日本の都道府県庁所在地の多くはかつての城下町だが、その大半は焼夷弾や原爆を投下されて焦土と化してしまった。それだけに城下町の面影がたもたれた松江は、都市全体が貴重な歴史遺産であり、日本が誇る財産になったといっていい。

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しかも松江城天守は、平成27年(2015)7月8日、国宝に指定された。現存する天守は12にすぎず、そのうち国宝は5つだけである。

昭和10年(1935)に国宝保存法により「国宝」になったものの、戦後、文化財保護法が施行されると、戦前の「国宝」は一律に「重要文化財」と呼び名が変わり、とくに価値が高いものだけが、あらためて「国宝」と指定された。そのとき松江城天守は重要文化財のまま据え置かれたのだが、ふたたび「国宝」という名を戴くことになったのである。

むろん、それは黙っていて得られたものではない。平成21年(2009)、松江市長が市議会で、松江城天守国宝化に向けて市民運動を醸成することを提唱したのを契機に、国宝化のための市議会議員連盟や市民の会が相次いで設立され、市も国宝化推進室を設置。多方面から調査や活動を重ねたところに、天守が完成した時期を示す「慶長16年(1611)」と記された祈祷札が見つかり、これが決定打となって国宝指定が実現した。