日本を震撼させた平成の凶悪事件。事件後に流れた歳月は犯人・遺族の心境にどのような変化をもたらすのか。ノンフィクションライターの小野一光氏が、事件の現場を歩く。

 ここでは「文藝春秋PLUS」で連載中の「平成凶悪事件と『その後』」から、「平成6年~12年 中洲スナックママ連続保険金殺人事件篇」(第3回)を一部抜粋して紹介する。

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「いまでも憶えてますよ。あげん健康な体を刺されて、もう本当に恨みましたよ。一人しかおらん息子ば刺されてねえ。そんなにせんでも良かったろうに……」

 長崎県の島しょ部に住む、現在86歳になるBさん(死亡時34)の母親は、電話での取材にしっかりした口調で答えた。

「中洲スナックママ連続保険金殺人事件」として知られる事件を起こし、2004年7月に逮捕された福岡県福岡市の高橋裕子(逮捕時48)。それまでに計3回結婚した彼女は、2番目と3番目の夫を、保険金目的で続けて殺害するなどの罪によって、現在は無期懲役囚として服役中の身である。

 この事件はまず、裕子が1994年10月に、2番目の夫であるBさんを殺害して、保険金など約1億2000万円を手にしたことから始まる。今年でBさんが殺害されて30年、裕子が逮捕されて20年が経つ。

2番目、3番目の夫を殺した高橋裕子。福岡県・中洲のスナックを経営する“美人ママ”として評判だった。現在は無期懲役囚として服役している(写真は筆者提供)

Bさんが遺した留守番電話

 裕子の逮捕後に得た情報ではあるが、当時の私の取材ノートには、Bさんが死亡する前に、実家の留守番電話にメッセージを残していたことが記されている。

 それは腹部を刺されたBさんが、母親の経営する店舗に置かれた留守番電話に、苦しそうに呻きながら、「刺された……」との言葉を残していたというもの。この一件については、福岡地裁で開かれた裕子の裁判での、検察側冒頭陳述でも触れられた。

 犯行から10年後に裕子が逮捕された際、そのメッセージは消え去っていたが、被害者の母親にとっては、忘れることのできない記憶として残っていたのだ。

福岡県博多の中洲の風景(筆者提供)

 母親に続いて私が連絡を取ったのは、福岡県内に住むBさんの4歳下の妹。彼女も留守番電話のメッセージについて、音声こそ直接聞いてはいないが、母親から話を聞いていた。

「ちょうどそのとき、私の嫁ぎ先で法事があり、母もそこに来ていたんですね。で、島に戻ってから、留守番電話を聞いたそうなんです。それから間もなくして、母は兄が亡くなったことを電話で知りました。兄が死んだことを伝えてきたのは、たしか裕子と一緒に現場に行った、第一発見者だったと思います」

 この留守番電話の件に限らず、妹にはBさんが自殺することはあり得ないと感じる理由があった。