――そうしたなかで「なにかになりたい」みたいな思いは抱いていたのでしょうか。
橋爪 このあいだ、中学3年生の文集が出てきて。開いたら、「俳優になりたい」って書いているんですよ。そういう考えが、子供の頃からずーっとあったんでしょうね。
あと、僕が中学生だった2000年代って、野村萬斎さんが主演された『陰陽師』とか日本映画が豊作だったんですよ。小さい頃は特撮映画、特に『ゴジラ』シリーズが好きだったんですけど。
ひとりで映画を観るようにもなってからは、いろいろ見るようになって本格的に映画にハマって。そこから、映画や俳優といったものにグッと興味を持ったところもあると思います。
「ああ、自分はこっち側じゃないな」高1で中退して俳優を目指した経緯
――俳優が夢になると、お父さんを見る目も変わっていったのでは。
橋爪 舞台の上にいる父親を見ると、やっぱり違うなと。家ではゴロっとしてたり、鍋食ってるみたいなイメージなんですけど、舞台では劇場を支配してしまっているというか。お客さんみんなが、橋爪功という役者にしか目が行かなくなってしまう。舞台での佇まいを見てると、お客さんがそうなるのも納得なんですよ。
そういう父親を目にして、僕の中では圧倒的に上の存在になりましたね。父親が出る芝居があったら、自分から見せてくれるように頼んでましたし。
――中3あたりから、俳優を目指して具体的に動き出したのですか。
橋爪 高1で、幼稚園から通ってた学校を辞めたんです。中学、高校は進学校だったんですよ。だから、高校になると成績優秀な外部生がいっぱい入ってきて。とにかく勉強、勉強って空気で、「ああ、自分はこっち側じゃないな」って思ったし、そもそも大学に行きたいなんて考えもなかったので。
高1で俳優になりたい気持ちも強くなっていたので、学校を辞めて動こうと。で、親に「俳優をやりたいんだけど」とも話して。
「父親みたいになりたいってのは違うよな」父・橋爪功を目標にはしなかった
――許してくれました?
橋爪 「わかった。でも、高校卒業の資格だけは取っておきなさい」と言われたので、高2から週3コースの定時制に編入したんです。定時制だったら、昼間は俳優として動けるなと考えて。高校のうちに映画に出たいって気持ちがあったんです。
「俳優をやりたい」に対して、父親は「やりたきゃ、やればいいんじゃない」っていうスタンスでしたね。で、父経由である事務所でオーディションをやるからって紹介してもらって、他の俳優志望の子たちと一緒に審査を受けて、そちらにお世話になることになったんです。それが2003年、高2の8月ですね。