――いじめに遭っていることを、両親や先生に話したりは。
橋爪 家にも学校にも言わなかったですね。「事を大きくしたくない」「いい子でいなきゃいけない」みたいな。先生からも他の子とは違う扱いを受けていたところもあったし。
彫刻刀かなにかで机がズタズタにされる事件が起きて、先生から「これ、橋爪じゃないのか?」って犯人扱いされたりしましたしね。そういう状況になっても、なにか言ったり、泣いたりせずに黙ってましたね。というよりも、答えが出ない感じ。
「なんで、やったの?」とか聞かれても、こっちとしては「やってないものはやってないのに、なんで僕がやったって言わなきゃいけないの?」っていう。「とにかく、この時間が過ぎてけばいいや」って思ってましたね。
「嫌なことを言われたり、されたりしても黙ってた」理由とは?
――小学校では孤立無援の状態ですか。
橋爪 でもなかったんですよ。他のクラスや下級生に仲の良い子がいたので。ただ、自分がなにかされて波風を立てたら、その子たちにも被害が及ぶんじゃないかって不安もあって、嫌なことを言われたり、されたりしても黙ってたとこもありますね。
――ちなみに成績はどうでした?
橋爪 中の下。全然でした。親も「勉強しろ」とか、一切言わなかったんですよ。だから、どんどん落ちこぼれていったんですけど。僕自身も、まったく勉強しようという気持ちがなかったんで。
ただ、両親はリズム感と音感がなくて、息子の僕には持ってほしいと。それで、学校の附属大にある音楽科でやっていた音楽教室に幼稚園から中1まで通って、ピアノを習ってました。
中学生くらいから「俳優になりたい」と思うようになった
――勉強と違って、ピアノの方は頑張れた。
橋爪 頑張れなかった(笑)。練習が大っ嫌いだったんですよ。だから、上達するわけもなく。その教室で、昇級試験というのがあって。学年が上がるごとに受けて、その結果によってA、B、C、Dってランク付けされて振り分けられるんです。A、Bはプロになりたい子たちが揃ってるけど、僕だけずっとD。
どこかで親にやらされてる感があって、面白くなかったのもあったと思うんですけど。だからといって、つまんなかったかというと、そうでもなくて。音を聴いて、なにか言葉にして表すという授業なんかは好きだったんですよ。
あと、マンツーマンでピアノを教わるのも苦手で。そういうのもあって、中1で教室を辞めて、なんとなく学校の吹奏楽部に移って、トランペットを吹いてました。やっぱり、なんとなく始めたのもあって、幽霊部員でしたけどね。