一文字も書けなくなった

――現在の生活についてお聞きします。3年間同居していた赤の他人のササポン(当時56歳)の元を出て、現在は一人暮らしをされているそうですね。

大木 かつて一人暮らしをしていた時は風呂なしの六畳一間でしたが、幸いなことに今はお風呂も床暖房もあるお家に住めています。でも、東京で女性がひとりで暮らすって、本当に大変なことですよね。

 特に最終回を書く直前にいろんな不安が押し寄せてしまって、一文字も書けなくなってしまったんです。

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――経済的な不安が大きかった?

大木 作家として続けていけるんだろうか? と不安が襲ってきたというか。私は有名な新人賞を取り文学の世界に入ったのではなく、色々なご縁をいただき書く仕事を始めたので。ある時、自信を失ってしまって、税理士の先生に電話して、「すみません。なんだか書くのが怖くなってしまって。私、書く仕事辞めます。一時的にアルバイトの仕事に就くかもしれないので、収入が落ちるかもしれませんが、その時は宜しくお願いします」と宣言してしまったほどでした。

 そうしたら税理士の先生に「今の辛い感情も、いつか絶対に小説に活かせ。辞めたら絶対にダメ」と真顔で大反対されました。

「カッコつけすぎですよ。他人に甘えたくないって言うけど、私を見て下さい。天堂さんと那津さんに甘えまくりですよ? そもそも、依存できる先が沢山あることこそ本当の自立って言うんじゃないですかね?」

――そこからまた机に向かえるようになったきっかけは?

大木 一度パソコンの前から離れて、執筆も少しお休みをいただき、近所のスナックのママのお手伝いをしたり、縁故を頼って地元の小学生に図工を教える「子供工作教室」の先生の仕事を短期間だけやらせてもらったりして。そうやって一時的に違う世界に身を置いたことで、どこでも生きていけるし、自分を支えてくれる人が周りにいるということが改めてわかりました。

 工作教室の先生をやっている時は、子供達がキラキラした瞳で「大木先生! 見て! こんなに可愛いキーホルダー作れたよ」って嬉しそうに自分の作った作品を見せてくれて。

 その時、「純粋に自分の好きなものに集中することの大切さ」を再認識しました。

 スナックのママも、後から聞いたところ作家としての私を知ってくれていたようですが、事情を何も聞かずに伸び伸びと働かせてくれました。

 これまでは、弱音なんか吐いたら仕事がなくなってしまう、と思っていました。だからいつもニコニコして、嫌なことは自分で始末をつけて、はけ口も自分。こんなにいいお仕事をもらっている立場で弱音を吐くなんて罰が当たるような気もしたし、自分の弱い部分を見せたら人から嫌われる、と思い込んでいたのだと思います。

 一度詰んで、また再生できたのは、働かせて下さったスナックのママと、工作教室で出会ったかわいい小学生達と、担当してくれた税理士さんのおかげです。

 

――改めて、作品を書き終えた今の気持ちをお聞かせください。

大木 最終回の締切直前に、再婚したばかりの高校時代の友だちと飲みに行ったんです。そうしたら彼女が、「私さー、1回目の結婚で失敗しているのに、2度目の結婚でもやっぱりダメなところがあって。『やっぱダメじゃん、自分(笑)』って思うんだよね。でも、そうやって、自分で自分を自己分析してる今の感じが面白いんだよね。そうこうするうちに少しずつ成長出来てるような気もしてさ」と話していて、ストンと腑に落ちるものがありました。

 物語の終わらせ方について、“熱血サクセス成長ストーリー”で終わらせてはならぬ、それでは嘘になる、と思ってずっと悩んでいました。“一人の女性の成長物語”というのは簡単だけど、現実には成長できなくて苦しむことばかりじゃないですか。経験を積んでも、歳を重ねても、ダメな部分はある。大事なのは、弱い自分を受け入れて認めることなんだと、その友人に教えてもらった気がしたんですね。

 なのでラストは、急に葉ちゃんが大成して、独立して、家を持って……という終わらせ方にはしませんでした。きっとこれからも、英治との離婚やお金の問題も続くでしょう。でも、生きていけば、自分が幸せに思えるくらいは稼げるよね、と。この作品で、魔法は起こさないようにしたかったんです。

マイ・ディア・キッチン

マイ・ディア・キッチン

大木 亜希子 ,今井 真実

文藝春秋

2025年2月12日 発売