動物園の痕跡を辿る…

 トンネルのように見える穴は高さ1メートル、奥行き5メートルほどで行き止まりになっている。穴を網で塞ぎ、この中で動物を飼育していたようだ。記録が少なく、証言を得ることができない今となっては、園内の詳細を知る手掛かりは少ない。当時の地図や聞き伝えられた話では、ここに豹や虎、亀、ワニがいたという説があるが、定かではない。

動物を飼育していた檻

 ここで、箕面動物園の歴史を紹介しておきたい。箕面動物園は、明治43年に箕面有馬電気軌道によって開業した。箕面有馬電気軌道とは、今の阪急電鉄のことだ。梅田~宝塚間と石橋~箕面が同時に開業したのに合わせて、電車利用客の増加を図るため、動物園を造った。

箕面動物園で飼育していた猿 ©箕面温泉スパーガーデン

 それ以前は、人口密集地に鉄道を敷くのが定石だったが、あえて田園地帯に鉄道を敷き、宅地や遊園地を新たに造って鉄道と一体的に収益を上げるという手法は、後に多くの私鉄が取り入れた。箕面動物園は、鉄道資本による遊園地経営の先駆けだったのだ。

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箕面動物園で飼育されていた象 ©箕面温泉スパーガーデン

 蓬莱橋で箕面川を渡ると不老門があり、ここが動物園の入口だった。

不老門(動物園入り口) ©箕面温泉スパーガーデン
動物園の入口・不老門があった付近

 山2つにまたがる広大な敷地内に動物の檻や遊戯、休憩所などが点在していた。園内を巡る回遊式遊歩道の長さは5キロに及んだ。舞楽堂“翠香殿”や財界人クラブ“松風閣”もあり、開業翌年には空中観覧車“ジャイアント・ホイール”も設置された。

明治中期に建てられた関西財界人クラブの松風閣の現在の姿
空中観覧車“ジャイアント・ホイール” ©箕面温泉スパーガーデン

 しかし、日本には生息しない動物の飼育や、猛獣の管理はとても大変でコストも嵩んだ。また、清廉な箕面公園の環境を俗化するべきではないという意見もあり、開業からわずか5年強で閉園してしまった。阪急電鉄創業者である小林一三氏は、後に箕面動物園は失敗だったと語っている。

 会社は開発の重点を箕面から宝塚に移し、動物園や舞楽堂も箕面から宝塚に移した。これが後の宝塚ファミリーランドや宝塚歌劇団の礎となったのだ。

 時代は流れて昭和26年頃、箕面動物園の跡地に温泉が発見された(昭和30年という説も)。昭和40年になると、温泉総合レジャー施設“箕面温泉スパーガーデン”が開業した。

往時の箕面温泉スパーガーデン ©箕面温泉スパーガーデン

 日帰り温泉のほかホテルやボウリング場、プール、スケート場などを併設し、歌謡ショーや大衆演劇も行われていた。

芋の子を洗うような賑わいの屋外プール ©箕面温泉スパーガーデン
往時の箕面スパーガーデン館内 ©箕面温泉スパーガーデン

探索を再開!

 探索を進めると、頭上を横切る巨大な構造物が見えてきた。橋のように見えるが、山の斜面に沿うようにして、急角度で山を上っている。これは、かつて運行されていたケーブルカーの廃線跡だ。

上を横切るケーブルカーの廃線跡

 動物園の遺構ではないが、駅から温泉を結ぶため、昭和40年に“箕面鋼索鉄道線”として開業されたケーブルカー。

運行されていた頃のケーブルカー ©箕面温泉スパーガーデン

 距離はたった100メートルだったが、地方鉄道法による正規の鉄道として運行されていた。無料で乗車できる日本で唯一の鉄道としても知られていたが、平成5年に現在の展望エレベーターが完成したことで廃止された。

 ちなみに、山下駅の跡地には観光案内所と足湯(休止中)があり、立入禁止エリアの外からホームとレールを見ることができる。

ケーブルカーの山下駅跡付近には足湯(休止中)がある
足湯付近からケーブルカーの痕跡がみられる

 スパーガーデン敷地内の山上駅は取り壊され現存していないとされてきたが、今回調査したところ、ホームの一部とレールの終点が現存していることが確認できた。

 ケーブルカーの下を通り過ぎると、何やら看板らしきものが地面に落ちていた。

 気になったのでひっくり返してみると“いらっしゃいませ”と書かれている。これは、ケーブルカーの山上駅の手前に設置されていたのと同じものだ。

道端に落ちていた看板らしきもの
ひっくり返してみる

 おそらく、山下駅の近くにも設置されていたものが、飛ばされてきたのだろう。表向きにしておくと退色して文字が消えてしまうため、再びひっくり返して元通りにしておいた。