最悪の日

 休職に入り、一人暮らしに限界を感じた迅斗さんは、母方の祖父母の家に移り住むことにした。

 実家はもう、4歳下の妹も独り立ちしており、単身赴任の父親は滅多に帰ってくることはなく、酒浸りの母親が1人で住んでいるだけ。しかも近年では、母親の服や書類などが足の踏み場もないくらい溢れ、ゴミ屋敷状態。とてもじゃないが帰れる状態ではなかった。

 一人暮らしの部屋を引き払うため、荷物を母方祖父母の家に送り、役所などに手続きに行ってきたその帰り、お気に入りだった青い車を駐車場の脇にあったポールにぶつけてしまった。迅斗さんは、落ち込んでいた気持ちがますます落ち込んでいくのを感じた。

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「当時、母方の祖父母は時々僕の実家に行き、母の食事の世話や部屋の片付けをしてくれていました。出迎えてくれた祖母は、僕の意気消沈した顔を見た途端、会社に怒りを覚えてましたね」

 母方の祖父母宅に落ち着いた迅斗さんは、中学3年生の頃から20歳くらいまで更新し続けていたブログを再開。自作の音楽などの配信を始めた。

 2020年元旦。

 妹も実家ではなく、祖父母宅に帰省していた。

 迅斗さんはお節料理をつまみ、日本酒を飲みながら、数ヶ月ぶりに妹と話していた。

※画像はイメージ ©AFLO

「嫌味を言う主任や、多くが体育会系で趣味も性格も合わない同期のことに加えて、いろいろな出来事が重なって休職したんだ……と妹にこれまでの経緯を話していたら、小さい頃、ピアノを習いたかったのに自分は習わせてもらえず、妹だけ習わせてもらえたことを突然思い出してしまいました。そこへ追い打ちをかけるように、友人たちから年賀状やメールなどで結婚報告が相次ぎ、その日は日本酒が進みました」

 人生が思うようにならないと感じていた迅斗さんは、その思いを打ち消すように日本酒をあおっていた。

 復帰に向けて心療内科を変えようと思っていること、治療して寛解したら転職しようと考えていることを話した時、側で一緒に日本酒を飲んでいた祖父が口を挟んできた。

「これから東京五輪の前に不景気になるだろうから、治してからの転職は無理や。すぐせい!」

 何も言わずに相槌を打ってくれている妹といい気分で話していた迅斗さんは、突然祖父に命令口調で会話を中断され、面白くない。たちまち酔っ払い同士で言い争いになり、最終的に「もういい、出ていけ!」と祖父に怒鳴られた迅斗さんは、自分の部屋に逃げ込んだ。

「友人の結婚ラッシュだったり、愛車で事故をしてしまったりで、『死』に対する思いが日々強くなっているタイミングでした。祖父に『出てけ』と言われ、『もう居場所も生きる価値もないんだ』と思った僕は、最後に友人やブログの読者たちに『さよなら』を伝えました」

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